とりあえず女装すれば飲み会が盛り上がると思う人たち
会社の社員旅行や歓送迎会などで行われる代表的な出し物の一つが、男性社員による「女装」でしょう。なぜ女装が出し物の案として採用されやすいかを考えると、おそらくは男性が女装をするというのが“非現実的”であるだけでなく、“奇妙”で“気持ち悪い”、だから“面白い”と思われるからではないでしょうか。
こうした考えの背景には、トランスジェンダー嫌悪(トランスフォビア)という、トランスジェンダーに対する蔑視や差別があります。日本でも、いくつかの調査によって、トランスジェンダーへの嫌悪感を抱く人が一定割合いることが報告されています。
もし、女装を面白がっているその場にトランスジェンダーであることを隠して働いている当事者がいたら、女装に対して「気持ち悪い」という笑いが起きているのを見て、ここでは自分がトランスジェンダーであることを伝えられるとは到底思えないでしょう。
女装企画がトランスジェンダーの存在を揶揄するようなものであることは弁解の余地はないと思いますが、同時に、シスジェンダーの男性が「女装」をすることは、端から見ると男性同性愛者を想起させることがあります。そして、これをあえて否定することで笑いが起きる―いわゆる「お前ホモかよ」「違いますよ~」みたいな流れですね。
このようにシスジェンダーの男性が「女装」をすること自体を“奇妙”だと感じ、“気持ち悪い”などと笑いが起きるということには、トランスフォビアの他にも要因がありそうです。
女装企画は、男同士の「ホモソーシャル」の儀式
ここで、「ホモソーシャル」という概念から考えると、女装企画の別の側面を読み解けます。
「ホモソーシャル」は「男同士の絆」ともいわれますが、「女性蔑視(ミソジニー)」と「同性愛嫌悪(ホモフォビア)」を背景に成り立つものです。男性の女性に対する優位性を保つための男性同士の強い結び付きは、社会の至る所で見られるものですが(会議が黒いスーツで埋め尽くされる様を連想すると良いでしょう)、ともすれば性愛と混同されるリスクを負っています。そこで、同性愛者を排除し、自分たちが同性愛者ではないとアピールすることによって、その結び付きの強さや尊さを強調する、これが「ホモソーシャル」です。
女装企画は、女装をする男性、すなわち同性愛者(昔から同性愛者と異性装は混同されがちです)を笑うことによって、自分たちの結び付きを強くする儀式の一つ、ということができるのです。
ですが、ここで言いたいのは、「だから全ての異性装企画はやってはいけません」ではありません。
例えば、歌舞伎や宝塚歌劇団などでは、異性装―女装や男装というのは表現として取り入れられています。他にも、テレビで活躍するオネエタレントの中には「ドラァグクイーン」というパフォーマーの方々もいます(ドラァグクイーンは、ステレオタイプな女性性を過度に演出することでパフォーマンスを行う人のことを指します)。
このような例に共通していることは、前述の「女装企画」のように、トランスフォビアやホモソーシャルを背景としたもの、すなわち「気持ち悪い」をオチとするような差別的なものではなく、規範への反抗や挑戦、語弊を恐れずに端的にいえば、既存の「男らしさ」「女らしさ」にとらわれない、さまざまな性のあり方が表現され、分かち合えるところと言えるのではないでしょうか。
もし会社の女装企画が「気持ち悪い」というオチではなく、多様性にひらかれた、肯定的に評価されるような企画であれば、誰も傷つけることはありません。むしろ、どんな人でも「異性装」を楽しめるような社会になることはセクシュアルマイノリティにとっても生きやすい社会につながるのではないでしょうか。