妻のオムツ交換や食事・入浴の介助……なぜ寄り添い続けられたのか?

瀬戸さんは、訪問介護を利用するまで、妻のオムツ交換や食事、入浴の介助などを一人で行ってきた。瀬戸さんの家族は介護に協力的だったが、妻が恥ずかしがるため、様子見以外で家族に妻の介護を手伝ってもらうことはなかった。

瀬戸さんは一連のマンツーマンの介護を、どんな気持ちでしていたのだろうか。

「私は神様ではないので、急いでいるときや虫の居所が悪いときは、妻が不随意運動で私に攻撃してきたら、『邪魔だからやめて!』ときつく言い、冷たく払いのけてしまうこともありました。でもそれが許されないなら、感情を持たないロボットか全てを達観した神様になるしかない。私は、ロボットや神様になるつもりはなく、ただ夫としてできるだけ長く妻の傍らにいたい。それだけでした」

しかしつらいときは何度もあった。どんなに情報を集めても、勉強して知識を深めても、「自分はハンチントン病の患者ではない」。そのため、ふと妻に「僕も同じ病気になれば、君がしてほしいことをわかってあげられるのに」と言ったことがある。すると妻は激しく怒り、「私は最期まであなたのそばにいてあげられないから、あなたに同じ病気になってほしくない!」と言い、自分の病気が確定したとき以上に号泣した。

手を握り寄り添うナース
写真=iStock.com/shapecharge
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妻の口数が減り、発語が難しくなってくると、妻自身が会話を諦めてしまう場面が増えた。瀬戸さんは、「諦めたら話せなくなるよ!」と叱り、「バターがほしい」の一言に30分以上かけたこともあった。

「妻はつらかったかもしれませんが、妻は本当に言葉が出なくなった後も、必死に喋ろうとする姿勢を崩しませんでした。だから私は、妻に寄り添い続けることができたのです」

誤嚥防止の手術を受けたため呻き声さえも発することができなくなった

2017年、誤嚥防止のため、気管と食道を分離する永久気管孔の手術を受けたため、呻き声さえも発することができなくなる。それでも瀬戸さんは「横にいていい? いないほうがいい?」と定期的に問いかけ、妻は拒絶しなかったため居続けた。

ところが、気管孔施術以降、瀬戸さんは1年ほど軽い鬱を患った。

「あの頃は家の中が荒れ、ささいなことでイライラしたり、妻の顔を見ているだけで涙が溢れたりしました。私は、肩に力が入り過ぎていたのです」

それを気付かせてくれたのは、前の職場で懇意にしてもらっていた男性の言葉だった。

「病気の奥さんの介護をするらしいけど、どんなふうに付き添うつもり? 真横で一緒に歩くのか、あなたは後ろ歩きになり、奥さんと向き合って歩くのか、奥さんの後ろに回って支えるのか……?」

ずいぶん前に言われたことだが、ようやく腑に落ちたという。

「当時、私は20代半ばで、介護も人生も経験不足だったため、言葉の意味が全くわかりませんでした。しかしこの男性が亡くなり、形見分けの品をいただいたことで、思い出すことができたのです。できなくなることは、受け入れてしまえばいい。いつまでも同じ位置、同じ接し方をすることが必ずしも正解ではない……と。考え方を変えることができて、とても楽になりました」