哲学者カントにみる部下の行動指針

上司と部下の間で意見が違うときに、それをどのように解消すべきか。この対応の仕方についてこれまで経営学でさまざまな議論が戦わされてきた。

それを振り返ってみると、欧米の議論と日本の議論とは微妙に異なることがわかる。欧米では、上司の側がいかに対応すべきかを議論したものが多い。日本では、部下の側がいかに行動すべきかに焦点を合わせている。

かつてこの欄で書いたことがあるが、日本では、部下の上司への諌言が評価される傾向がある。実際に、日本の組織は部下が上司に諌言しやすいように工夫されている。

民間企業の場合は、上司から人事権を取り上げて人事権を人事部に集中している。官庁の場合は、人事権は大臣官房に集約されている。しかし内閣は総理大臣が人事権を持っている。このような制度だけではなく、上司への諌言を望ましいとする道徳観もある。上司の顔色を見て、その命令に従うのは、保身でしかないという厳しい見方すらある。

その極端な例が、武士の心構えについて書いた『葉隠』である。「26時中主君の御事を嘆き事を整えて進上申し御国家を堅むると云う所に眼をつけねば、奉公人とは言われぬなり」(聞書第一)。部下は、命令どおりに動くのではなく、上司がわかりやすいように自分の意見を具申せよという行動規範である。

このような行動指針は、問題をも生み出す。諌言が聞き入れられない場合、部下が命令を無視して勝手に行動してしまうという問題が起こる。

もちろん、欧米でも部下に注目した議論はある。哲学者のカントは戦場で上司の命令が間違っていると思ったときにどのように行動すべきかという問題を議論し、戦場ではひとまず従っておいて戦闘が終わってから意見を述べるべしという行動指針を示している。『葉隠』の行動規範は、現代の日本企業の現場での改善改良活動を支える精神ではないかと私は思っている。部下がこのように行動すれば、上司は常に学習することができ、上司のところには最新の情報が届いているはずである。

これにたいして西欧では、上下対立の問題はリーダーシップの問題として議論されている。価値基準が多様で、因果関係についての知識や情報が不足しているような問題に直面したとき、決定までの段階では、多様な意見を吸収し、部下を含めて皆の意見をもとに決めるという民主型リーダーシップが望ましいが、決定の実行段階では、決めたことをきっちりと実行させる専制型リーダーシップがよい結果を生み出すという経験則がある。

一方、日本の企業組織では、「報連相」が重視されている。対立が起こる前に、報告・連絡・相談をきっちりと行い、情報を共有しておこうという方法である。その場合でも、複数の目的に由来する対立の解消は難しい。価値の対立があるときに議論をしても答えが出ないだけであるという冷めた見方もある。そのときには根本的な問題にまでさかのぼらず、具体的なアクションについて合意を形成するという方法をとるべきだというのが、これまでの通説である。

※すべて雑誌掲載当時