研究者として生きていこうと決心

研究にフルに時間を充てるようになると、実務をやっているときには見えなかった課題がよりクリアに見えてきました。さらに研究を続けるため、中曽根康弘さんのシンクタンクである世界平和研究所を経て、一橋大学経済研究所の准教授になりました。そして、いよいよ研究者として生きていこうと決心し、2013年、39歳で法政大学に移り、現在は経済学部で教授を務めています。

(左)中曽根康弘氏のシンクタンク・世界平和研究所に勤務。本格的に研究者への道に進むようになった。(右)大蔵省入省に際して広中平祐博士より届いた激励の書簡は、いまも書斎の本棚に飾っている。
(左)中曽根康弘氏のシンクタンク・世界平和研究所に勤務。本格的に研究者への道に進むようになった。(右)大蔵省入省に際して広中平祐博士より届いた激励の書簡は、いまも書斎の本棚に飾っている。

私の研究テーマは財政と社会保障ですが、対象領域は広がり、最近は実体経済に関心を持っています。日本の経済が盤石だったころは、アセットサイド(バランスシートの左側)を気にせず、財政のデットサイド(財政のバランスシートの右側)を正しくコーディネートしていれば、投資の収益が上がるという認識でした。しかし、いまのように実体経済が弱いと、財政政策でいくら経済をブーストさせようとしても限界がある。日本には実体経済の足腰を強くするソリューションが必要で、それを分析して提言していくことが、研究者としての現在のチャレンジです。

それと別に、政治家や官庁、日銀の幹部を務めた方などを対象に、財政のオーラルヒストリーを記録する仕事に取り組んでいます。30年間、外に出さないという約束があり、世に出るのはずっと先です。しかし、現下の日本財政や経済は本当に厳しい状況で、その舵取りに関わった方々の証言は歴史的価値が高いはずです。後世に託す貴重な資料を残すため、ライフワークとして、しっかり取り組んでいきたいですね。

▼浜ちゃん総研所長の目

現実の世界は、物理の法則どおりに動いている。もともと理系少年だった小黒さんがそのことを知って物理にのめり込んだのは、高校生の頃だった。しかし、知的な関心は物理にとどまらなかった。京大に進学して卒業に必要な単位を2年目でほぼ取り終え、片手間に他分野を学び始めたところ、経済の世界にも社会をマネジメントする理論があることを知り、おもしろさに目覚めた。そこから本格的に勉強を始めて大蔵省に入省。後にノーベル賞に繋がる素粒子を研究するゼミの教授に報告すると、「なぜ、そっちにいくのか」と惜しまれたという。分野を問わずに活躍できるスーパーマンだ。

経済評論家 浜田敏彰氏
経済評論家 浜田敏彰氏

官僚になったのは、旅館やギャラリー、硬質陶器の経営者が並ぶファミリーの影響があったようだ。小黒さんは「ビジネスで儲けるのはいいのですが、個別最適にしかならない。社会全体の最適化を手がけたかった」と明かしてくれた。大蔵省に入省後は、導かれるようにして研究者への道が拓けていく。退官して大学に籍を置くのも、理論派の小黒さんらしい。「趣味は?」と問うと、「分析ですかね」。本人の生真面目さがにじみ出る答えだ。損得を超えたところで公のために研究に打ち込む人がいるのは、とても心強いことである。

(構成=村上 敬 撮影=鈴木啓介)
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