だとすれば、十分な補給支援を受けられる前提のはずです。にもかかわらず、なぜ弾の節約をするような戦い方をするのでしょうか。

旧日本軍は、先の大戦で後方補給線の安全が確保できなくなり、補給物資が減少、途絶えてしまい、結果として仕方なく弾薬を節約せざるをえませんでした。私には陸上自衛隊の訓練における弾薬の節約が、この旧日本軍からの伝統のように思えてならないのです。

「人命より弾薬」訓練でしか通用しない思考

何よりも気になるのは、現場には、人命よりも弾薬の節用を重視するような雰囲気が漂っていることです。火力によって敵を十分に叩くことができなければ多くの敵が残存してしまいます。敵が残っている陣地へ突入した場合、敵の火力によって多くの味方が倒されることになります。

時間がないから、敵を残してしまっても構わないと簡単に考えてしまった代償は、多くの味方の血によって贖われることになります。「急がないとならないので仕方がない」では許されるものではありません。しかし、不思議なことに、そんなことが訓練ではまかり通っているのです。

「これだけ撃てば充分だろ、これ以上撃っても弾の無駄、そんなに弾がある訳ではないのだし……」。もちろん、訓練のための弾薬も国民の血税が使われていますから、自衛隊が無駄に使っていいわけではありません。しかし、戦闘における考え方はあくまで実戦を見据えたものであってほしいと思うのです。

本来は、訓練であっても、戦闘を有利に進めるために必要なだけの弾薬を準備すべきではないでしょうか。弾薬の節約のため、「最前線の歩兵の命が失われても仕方がない」という驚くべき考え方は、実損害が出ない訓練だから通用するものだと思います。いや、個々の幹部は「歩兵の命が失われても仕方がない」とは考えてないと言うかもしれません。

自衛隊員は死んでも4時間後に生き返る

しかし、個人の考えはともあれ、行なわれている訓練の背後にある思想は、間違いなく「歩兵の命」を軽んじています。

そもそも自衛隊の訓練では、最も実戦的でなければならない訓練検閲の中でも最大規模で行われる6日間の戦闘団訓練検閲でさえも、死亡した者は4時間後戦闘に復帰、重傷者は2時間後戦闘に復帰、軽傷は応急手当てをしたらその時点で戦闘復帰するという規定になっています。

隊員は死亡してもすぐに生き返ることができるので、勇ましく(?)「それ行け!」とばかりに、撃たれる事を恐れることなく前進していきます。負傷者のことなど考慮されていないのです。「こんなことをやっていては、実戦では多くの損害が出るな」と感じながら戦闘訓練を行っていた日々でした。