どこに相談すればいいのかわからない

しかも、ほとんどの方は介護と無縁でいるうちは情報に疎く、いざ自分の身に降りかかるとパニックに陥ります。誰に聞いていいのか、どこに相談すればいいのかわからない。「こんな暗い相談話は、相手の気持ちを暗くさせてしまう」という心配も付きまといます。近所で噂されるのを嫌ったり、「救急車は、サイレンを鳴らさずに来てください」という要求もよくあります。

老親の介護
PIXTA=写真

でも、介護の問題はみんな順番にやってくるんです。むしろ周囲に知らせてしまったほうが安心できることもあるのです。もし徘徊が始まっても、近所の人があらかじめ知っていたら、「あっちのほうに歩いていきましたよ」などと教えてくれたりしますから。

聖書には「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる」(マタイによる福音書7章7節・8節)とあります。今の社会はまさにその通りで、求めなければ支援や援助は受けられません。「こんなのありますよ」と親切に教えてくれる人は少ないです。求めなければ、どんどん情報弱者になっていきます。

世の中のシステムは強い人がつくってきました。神に求めると同時に、弱い人は自分から求めないと、往々にして何も得られません。ごく些細なことでも、たとえば自治体によっては「高齢者おむつ給付制度」でおむつが無料で支給されていますが、進んで調べなければわかりません。でも、わからなければケアマネージャーに頼ればいい。求めることは恥ずかしいことではありません。先の言葉のように、躊躇わずに頼る姿勢を持っていいと思います。

介護はモチベーションを維持するのも難しいですね。最初は「元気になってほしい」という思いでやれるんですが、患者もだんだん衰えていきます。途中から「もうダメだ」という心境に。普通の病気は看護すれば回復しますが、介護のゴールは多くの場合、「死」。死に向かってのお手伝いはシビアです。ある意味、腹を括らないとできません。

介護者にとっては、認知症患者との向き合い方も難しいですね。認知能力が衰えると、息子や娘のことすら忘れてしまいますが、不思議なことに感情とプライドは生きているんです。だから子ども扱いされるとふて腐れ、褒められると喜びます。

認知症の患者さんには、肯定的な言葉掛けがいい。介護は「○○ができなくなる」ことの連続ですが、賞賛は何かができる人だけが受ける特権ではありません。かける言葉は「いてくれてありがとう」で十分。「お母さん、いてくれてありがとう」。ぜひ、言ってみてあげてください。