中学校や高校での「校長先生のお話」は、なぜ記憶に残らないのか。宝仙学園中学校・高等学校(東京都中野区)の富士晴英校長は「始業式や終業式が、生徒たちが前を向いて聞ける内容になっていないからではないか」という――。

※本稿は、富士晴英とゆかいな仲間たち『できちゃいました! フツーの学校』(岩波書店・岩波ジュニア新書)の一部を再編集したものです。

スクール小学生 (桜、卒業)
写真=iStock.com/hanapon1002
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小中高で「72回」は校長先生のお話を聞いてきた

日本の学校は、一般的に学期ごとに始業式と終業式があります。その度ごとに、「校長講話」のようなものがルーティーン(お決まりの慣習)のように位置づけられているのも、一般的です。私がこのことに気づいたのは、校長になって最初に1学期の始業式の「式次第」を見たときです。

私は子どもの頃、一般的な学校に通っていたので、小学校から高等学校まで、3学期制を繰り返される度に、始業式と終業式を経験してきました。というか、してきたはずです。ということは、年間6回×12年間=72回ほど、ときの校長先生のお話を聞いてきたはずです。

が、その内容については、「まったく記憶にございません」というのが、事実です。おそらく、それは、かなり多くの子どもたちにとってもまた事実ではないかという確信さえありました。

高校生に話すことは、いつも一つ

そこで校長の私が考えたのは、生徒たちが前を向いて聞く姿勢をみせる式にしたいということです。そのためには、私からの思いつきのメッセージを伝えるのではなく、例えば生徒会長から学期のポイントや総括を直接伝えてもらうやり方に変えようと決めました。そのようなやり方に変えたところ、歴代の生徒会長たちは、みんな気立てがよくて、自分の役割を立派に果たしてくれ、場を成り立たせてくれています。

とはいえ、「校長先生も何かやってください!」という真面目な生徒の声も聞き、舞台の袖でのんびりと様子を見ているだけというわけにもいかず、最後に登壇して短い話をすることになりました。

勤務している学校は、中学生と高校生とを分けて、それぞれに式を行うというスタイルです。私が高校生に話すことは、毎度ひとつです。

「君たちは、自己ベストの更新をしようとしているかな? したと言えるかな?」

です。私にとって、このメッセージなら、誰に対しても、気まずくありません。もちろん、語る私の高校時代に誇れる実績はありません。であるからこその、心を込めたつもりのメッセージです。