ここで、返還前の香港について少し話しておきたい。当時の香港は、植民地という言葉じりから受ける「陰惨で貧困」というイメージとは程遠く「ロンドンのアジア出張所」とも言える場所で、特に金融や貿易など経済分野では英国本土より先進的な地域だった。

当時の英国と香港とを結ぶフライトはいわば国内線扱いで、日本からロンドンへ飛ぶのと距離があまり変わらないのにもかかわらず、チケットは格段に安かった。

英国国民は香港での滞在にいかなる制限もなく、自由に働けた。返還までの数年間、多くの英国人が「植民地へ出稼ぎ」にも行っていた。パブやレストラン、そして当時建設が進んでいた今の香港国際空港およびそれに関連するインフラ整備工事などの働き手として、香港の人々に雇用されていたりもした。

香港で働かないまでも、滞在費や食事が安く、買い物はほぼ全てのものが免税と「英国人が気晴らしに立ち寄る場所」としては好適な条件がそろっていた。

英国内では「難民を受け入れるのか」と反発

ジョンソン首相がここへきて香港の人々に対して手を差し伸べてはいるものの、国内事情はとても盤石とは言えない。

英国は今年1月末をもって欧州連合(EU)から離脱し、いわゆるブレグジットが実現した。現在はEUから離脱する過渡期間にあり、とはいえ、それ以前と比べ、政治・経済面で大きな変化は訪れていない。各国との貿易交渉を展開すべき局面にあるものの、離脱日からほどなくして新型コロナウイルス感染への対応に追われ、交渉自体が遅々として進まない状態だ。

その上、ジョンソン首相はブレグジットを巡っては、移民排斥を訴える側のEU離脱派の旗頭だった。それなのに香港市民の受け入れ可能性に言及したことを受け「ボリス(首相のファーストネーム)は、最大で300万人を受け入れるとは頭がおかしい」、香港にはあちこちにタワマンがあることを揶揄して「ハイドパーク(ロンドン西部の広大な公園)に難民専用の高層アパートを大量建設するのか」など、一斉にブーイングが上がった。一方で、中国のこれまでのやり方を苦々しく思っている市民からの熱烈な後押しもある。