まるで難民のようだ

ひと月近く過ごした部屋とバルコニー
ひと月近く過ごした部屋とバルコニー

検疫の受付で必要書類を提出、健康に異常なしと報告し、サーモグラフィーによるスクリーニング、検温をすませる。最後にIDカードでたしかに下船したことをチェックされ、地上に降り立った。リュックを背負い、両手に2つの紙袋、まるで難民のようだ。ターミナルのなかで、6個の大型荷物を受け取り税関に進み申告書を提出、これでようやく脱出ができたのだった。ありがたいことに、白の防護服を着た職員が2個のスーツケースを引いてくれて、宅配便の受付窓口を教えてくれる。宅配便コーナーはやっぱりあったのだ。防護服の職員にお礼を言い、宅配便の発送手続きをすます。係に金額を聞くと、タダです、不要ですとの答え。そうか、これも船側の支払いだったのかと気づく。

自宅にいること自体が不思議だった

危惧したとおり、バスは横浜駅行だけで、東京行は運行していない。バスの運転席は急ごしらえのビニールシートで客席側と仕切られ、客席側の空気は入らないようになっている。まるで下船者たちは危険人物の群れのような扱い。それで横浜駅で解散? あとは勝手に帰れ、これほどの矛盾はないではないか。怒りがこみあげてくるのは当たり前なのだ。

小柳剛『パンデミック客船 「ダイヤモンド・プリンセス号」からの生還』(KADOKAWA)
小柳剛『パンデミック客船 「ダイヤモンド・プリンセス号」からの生還』(KADOKAWA)

横浜駅で、新幹線の切符を買い東京駅まで向かう。駅前の空いているレストランを探しあて、片隅でビールで乾杯、そして昼食。夕食の駅弁を駅地下で購入し、北陸新幹線に乗り、夜七時ごろ帰宅した。まさに激動の一日。私たち二人は、会話をすることもなく、いつものように風呂を入れ、お湯を沸かし昼に買った弁当を食べた。時々会話はするのだが、それよりもこうして自宅にいること自体が不思議で、うまく言葉にならなかったというのが正直なところだった。

寝る前、まだ連絡を取っていなかった友人に電話連絡をした。隔離中、私の姿をテレビで発見しながらも、私の携帯電話の番号もメルアドを知らず心配メールをPCに何度も送ってくれていた人だった。彼に無事に帰宅したこと、詳しくは明日メール報告をすることを約束した。今度こそ何も考えずベッドに倒れ込む。長かった一日を終えたのだった。

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