ネットでの「共感」が感情を暴走させる?
さらに現代では、ネットが「感情の暴走」を助長してしまうことがある。
これまではテレビなどのマスメディアで取り上げられなかったような小さな事件が、SNSでの「いいね!」やリツイートで、全国に一瞬で広まるようになった。「こんなの許せない!」という「正義感」もまた、それが客観的に正しいかどうか、十分検証されないままに強い「感情の津波」となって、対象となった人たちに襲いかかることがある。
最近話題になった、テレビ番組「テラスハウス」出演者の自殺などもまた、このような「正義感の暴走」と無関係ではない。
私たちには、生物として生き延びるために、「共感」によって感情を通わせ、集団で協力して敵に対抗するという感情のシステムが備わっている。
日本人は「共感」しあい、「忖度」しあって、暮らすことに慣れている。新型コロナの感染拡大があまり広がらなかったのは、そのシステムがうまく働いて、お互いに「自粛」しあい、ある意味では「監視」しあって暮らすことができたためでもある。
しかし、共感のシステムによる「同調圧力」は、正しくない者を監視し、摘発し、正義の名のもとに糾弾するという行為も引き起こしやすい。そして、その感情と行動はネットを通してあっという間に全国に広がってしまう。
「自粛警察」やネットでの誹謗中傷は、このようにして起きてきたと考えられるのである。
「コロナ後」の「正義」はどこに向かうのか?
「テラスハウス」の事件で特徴的だったのは、出演者を自殺に追い込んだ「誹謗中傷」に対する強い批判である。
自分の攻撃が自殺の原因だったのかもしれないと思った人たちは、次々にネットの書き込みを削除するという行為に走った。「正義感」に駆られて行動したら、今度は突然「悪」認定されてしまい、大変な思いをしたというのが、当人たちの感想ではないだろうか?
ネットにおける「感情の暴走」には十分な注意が必要である。ネットはまだ「未成熟な社会」なのであり、さらに自殺などの犠牲者を生まないためには、何らかの法整備をしなければならないという議論が巻き起こったのは、きわめて当然のことと考えられる。
ネットは私たちの前に新しく開かれた「自由な社会」であり、コロナ禍がいみじくも証明したように、働き方や暮らし方を変える大きなポテンシャルをもっている。
同時に「正義感」などの感情が大きな津波となって暴走する危険性ももっているため、注意深い配慮のもとでの法制化など、ルールの制定も喫緊の課題となっているのは間違いない。
私たちの中には、「うしろめたさ」や「やましさ」など、「自分は本当に正しいのか」を検証する感情のシステムが備わっている。「自分は正しい!」とアクセルを踏み込んでいるときこそ、「もしかしたら間違っていないか?」という感情のブレーキも十分に意識することが大切ではないだろうか。