後継者選びも大失敗しています。謙信が死んだのは49歳。寿命が50歳の時代だから、後継者を決めておくべきなのに、自分の血がつながっている景勝と、北条氏康の倅である景虎のどちらにするか、決められないまま亡くなりました。結局、死後は内輪もめで上杉家は真っ二つに割れて、弱くなってしまったわけです。

戦はうまかったようですが、10万の兵で囲んだ小田原城は落とせませんでした。大きな組織のトップになる器ではなかったのでしょう。

織田信長 唯一無二の判断をした男の正体はサイコパスか

「たいしたことない」「残酷だった」という悪評も囁かれる信長ですが、僕は単純にすごいと思っています。というのも、信長は「日本は1つであるべきだ」と考えたわけで、それは他の武将にはできない判断でした。その一点だけでも信長は認められるべき武将です。それを前提にしたうえで、「残酷だった」という指摘には頷きますけど。

信長は人材登用において実力主義を徹底していました。「他国の人間は信用できない」という風潮のなかで、才能さえあれば、誰でも取り立てたのです。だけど、そこには人を殺す使命を遂行して初めて認められるという、野蛮な評価基準がありました。しかも、実力がなければ、本当に首が飛ぶこともあった。家臣からすれば、「いつ捨てられるかわからない」というストレスに襲われて、いつまでもついていきたいとは思えないですよ。ゆえに信長は常に誰かに裏切られる人生でした。

ちなみに脳科学者の中野信子先生によると、信長をサイコパスとしてとらえると、行動や性格に説明がつくそうです。ただし、信長は天守閣をつくったり、お茶を政治に取り入れたり、サイコパスに欠けているはずの美的センスを持っていた。本当はサイコパスだったのか、気になるところです。

豊臣秀吉 性格の悪さを隠して「気遣いの人」を演出

僕はどうも秀吉が好きになれないんです。というのも、「天性の人たらし」「気遣いの人」という陽性のイメージに共感できない。本当はすごく性格が悪かったんじゃないでしょうか。

特に天下人になるにつれ、部下に冷たくなり、イヤな部分が表出します。初期の秀吉についていた四天王のうち2人は失敗を犯して、追放されたのち、自害を申しつけられました。太閤検地に逆らった農民はなで斬りにしろと命じ、さらに年をとると、秀頼に跡を継がせたいがために、競争相手を血祭りにあげていった。それで豊臣政権は弱体化したわけですが……。

もともと秀吉は、陽気な芸人が普段は暗いように、計算ずくの明るさを演出していたように思えるんですよ。織田家にいるときは従う人格をつくり、天下人になったら朝廷に対して友好的な人格をつくる。そこを徹底できたセルフコントロールは大したものです。