元就といえば、息子に結束の重要性を説いた「三本の矢」の話が有名です。でも古文書を読むとそんなに美しい話ではなくて、元就は、「本拠地・安芸国においてすら、『毛利家のために』なんて思っている家来は1人もいない。兄弟しか頼れないから仲良くしろ」と言いたかったんです。どこまでも人間不信なんですね。

さらによくよく読むと、元就は「ボンクラな兄ちゃんを立ててやれ」と言いたかったらしい。誰も信用しないけど、ボンクラな長男はかわいかった、という部分にかすかな人間味を感じます。

武田信玄 名君の手痛いミスは後継者問題

信玄は非常に優秀です。名君と呼んでいいかもしれません。特に長けていたのが人材登用で、真田昌幸など、優秀な人材を数多く取り立てました。これはという者がいたら、武田に仕えていた伝統ある家に養子に入らせて、継がせる。ちゃんとワンクッション噛ませるんです。だからその後、抜擢してもみんなが納得するし、家臣から裏切られることもありませんでした。

惜しまれるのは、後継者問題です。正室とのあいだにできた義信が、びくともしない跡取りだったのにもかかわらず、武田氏と北条氏と今川氏の甲相駿三国同盟を堅持するか破棄するか意見の対立で、最終的に腹を切らせることになりました。そして四男の勝頼を諏訪家から戻して、勝頼をつなぎの後継者、その息子・信勝を真の後継者に指名します。家臣団からすれば、勝頼は昨日までの同僚だし、「かりそめの後継者って何だ?」という感情になって、まとまりませんよ。実に手痛い失敗でした。

信玄は20年かけて信濃国を制圧しました。すごいことですが、信濃国は40万石なので、時間をかけたわりに効率が悪い気がします。戦術面では優れていても、大局的な戦略観がやや弱かったようにも思えますね。

上杉謙信 神頼みすぎる独断専行に部下はドン引き?

「義の武将」として人気を集める謙信。はっきり言って、僕の評価は高くありません。細長い形状をした越後国のなかで、謙信が居城した春日山城は土地の端っこに位置します。どうして越後国の真ん中、今の新潟市あたりに居城しなかったのでしょうか。複雑な地形の国を治めようと思ったら、本拠地を変えるぐらいの柔軟さが必要ですが、その決断力はなかった。

また、決める姿勢は独断専行型でした。毘沙門天を信仰していた謙信は、重要な案件があると毘沙門堂にこもって、出てくるとすべてが決定されていたわけです。神頼みすぎます。ドン引きです。それで部下が納得するものなのか……。