頭のなかで物語をつくり、それに沿った勝負をしてしまう

また、捕手特有の配球に関する考え方も影響していると見ています。打てない捕手というのは、「自分の頭のなかで描いたもの」へのこだわりが強いような感じがします。

三井康浩氏が実際に1球ごとに記録したスコアブック(写真提供=角川新書編集部)

たとえば、初球にアウトコースのストレートがきたとしましょう。捕手というのは、「自分のリードが一番だ」と思っている節があるので、「自分だったら、次はインコースに投げさせる」などと判断し、そこでインコースを待ったりします。でも相手はまったくちがうことを考えていて、そういった読みの“裏”にあたるアウトコースを投げられたりします。そういう打席を見ながら、「向こうの捕手は自分と同じではないんだよ」ということはよく思っていました。

たとえば阿部慎之介は、1球ずつヤマを張りません。彼は、「この投手はスライダーが得意だから、スライダーを狙おう」といった程度の読みにとどめ、自分のなかで大がかりな物語をつくって細かく読むようなことはしないのです。そういう捕手は打てます。

捕手があまり打てない理由の大部分は選手が備えた元々の素質の差ですが、かたくなに自分の頭のなかで物語をつくり、それに沿った勝負をしてしまうことも影響しているはずです。いわば、野球をよく知るからこその弊害なのです。

古田には「これは下位のスイングじゃない」と確信を持った

わたしがスコアラーを務めていた時代の打てる捕手のひとりが、1990年にヤクルトに入団し、2年目には打率・340というハイアベレージで首位打者を獲得した古田でした。知的なリードの印象もありますが、打者としての素晴らしさも常に感じていました。わたしはデビュー時からずっと見ていましたが、とにかくスイングが入団当初からすごかった。

1年目こそ下位打線を打っていましたが、「これは下位のスイングじゃない」と確信を持っていたほどです。当時ヤクルトの監督だった野村さんも、当然わかっていたはず。でも、最初はバッティングを脇に置いておいて、捕手の練習を徹底的にやらせたのではないかと思うのです。

さかのぼると、1992年のシーズン途中に巨人に加わった大久保博元も、打てる捕手を探すなかトレードで西武から獲得した選手でした。実はわたしもチームに大久保の獲得をすすめたひとりです。古田と同様にスイングが素晴らしく、「出場機会さえ与えれば絶対打ってくれるはずだ」と信じていました。交渉はうまく進みトレードは成立。大久保はその年、84試合に出場して15本塁打を放つ期待通りの活躍を見せてくれました。