危険なのは大義によって「何でもあり」の状態になること

国民の命を守る! などの大義が強く出てきたときには、法律の根拠など細かなことを言わずにやるべきことをどんどんやったらいいんだ、という声が強まってくる。

こういうときが一番危険だ。大義が大きくなればなるほど、何でもありの状態になってしまう。

「戦争に勝つ」という大義のために、日本政府が何でもありの無茶苦茶な状態になってしまった歴史を我々は持っている。

国民の安全を守るために、いったんは政治決断をやったとしても、すぐに法律の根拠を整備していくべきだ。それこそが、国会議員の仕事だろう。まずはドーンと制圧対策をやった後に、今度はそれを徐々に解除するために、新型肺炎を細かく検証する。

それと同じ思考で、まずは政治決断によって法律の根拠なくドーンと対策をとった後に、今度はきっちり法律を整備していく。

「まずはアバウトに強く。その後、精緻に」

これが、これまで経験したことのない未知の問題に対応するときの鉄則である。

なぜ国会議員は本来の「立法」の仕事をしないのか?

では今、国会議員は何をしているのか。本来は感染症法や検疫法、出入国管理法の不備を補う法律改正論議を与野党の国会議員同士ですべきところ、そのような気配は全くない。

相変わらず、与野党ともに国会議員は政府に対して「要望」「提案」をするだけだ。

この「要望」「提案」というのが一番楽チンなこと。無責任・好き勝手に言いっ放しにするだけでいいのだから。

法律を作ろうと思えば、利害関係人の調整から、他の法制度との整合性までしっかり考え抜かなければならない。そして法律の根底に流れる思想についての議論が必要になってくる。それには責任が生じる。

ところが「要望」「提案」となれば、責任が生じないので、適当なことを言いっ放しにするだけで終わる。これは国会議員の「やっています」アピールみたいなものだ。

なぜ今回、国会議員は法律を作ろうとしないのか。

ある与党国会議員は「人権侵害を伴う法律は、議員立法ではなく、内閣が法案を作るべき」と言っていた。多くの国会議員はそのような意識なのだろう。

本来は逆である。

憲法41条は、「国会は、国権の最高機関であって、国の唯一の立法機関である」と定めている。国会は「最高の」「唯一の」立法機関だからこそ、人権侵害にもなりかねない感染症対策の法律を作るべきなのである。

ところが、これまで国会議員は法律作りという本来の仕事を十分にやってこなかった。

法律の制定は、非常に面倒くさい作業が必要になる。だから議員は、役所に対してバクっとした要望と提案だけをして、細かな法律の制定作業は全て役所任せにしてきた。これは国政でも地方政治でも同じだ。

(略)