父の言葉「自分の人生を人のために使いなさい」の意味がわかった

医学部生など多くの研修生がこの病院の活動に賛同して積極的に関わろうとするのは、いつもエネルギッシュな病院長の江角さんに触発されたからだ。ここからは江角さんがどのようにしてできたのか掘り下げてみよう。

「目の前の人を幸せにしたい」という江角さんだが、幼い頃から志が高かったかといえば、そうではなかった。

両親は医師、母親は研究者の共働き家庭に生まれた。不在がちの両親に代わって、7歳年下の弟の世話を見る生活に不満を持つ普通の少年だった。リーダーシップはあるけど、自分勝手――。そんなジャイアンタイプの江角少年は、友達とケンカしたり、問題を起こしたりで、親が学校に呼び出されることも少なくなかった。

そのたびに両親や祖父母からは「自分の力は、自分勝手をするためでなく、世の中のために使いなさい」「お前の人生は人のために使うんだよ」と諭されたという。

だが、その意味を江角さんは長い間、理解できなかった。理解できたのは、高校2年の終わりの春休みだ。「小学生の頃から学童代わりに塾に行っていた」江角さんは、勉強はできて、都立屈指の進学校である西高校に進学した。

撮影=堀 隆弘
左が江角医師、右は父親の浩安さん。

院長はかつて退学寸前の超問題児「僕の夢は世界平和です」

だが、いかんせんやる気がなかった。授業をろくに受けず成績は「最底辺」。やんちゃばかりして退学寸前だった問題児は、たまたま観た映画『パッチ・アダムス』で目をました。主人公のパッチ・アダムスは無料で医療を受けられる病院を設立し、笑いと愛情で患者を幸せにした、実在の医師をモデルにした作品だ。

「両親や祖父母が話していた、自分の人生を他人のために使っている人が描かれていました。そうか、こういうことなのか、とわかったんです。ここで描かれている人が医師だったので、医師を志しました」(江角さん)

人生を賭ける職業は、医師に定まった。しかも、人を幸せにする医師だ。そうと決まったら、夢は大きいのが江角さんである。目の前の患者、一人ひとりに向き合い、最終的には世界76億人を幸せにして、世界平和を目指す。彼は初対面の人にも臆せずに「夢は世界平和」と話し、それを本気で目指している。この情熱があるからこそ、彼に出会った人は自分も何かできることをしようと突き動かされるのだろう。

だが、高2当時、劣等生の江角さんに、高い学力が求められる医学部進学などかなうはずはなかった。高校の先生に頼み込んで中学3年生のレベルから勉強をやり直し、2浪の末に三重大学医学部に合格した。