一日の練習時間は平均4時間程度と決して多くはない。特徴的なのはそれ以外の時間の過ごし方だ。夕食後や週末には必修の教育プログラムが行われ、その内容は「英会話教育」「キャリア教育」など、ビジネスマン向け講座と見まごうものも。そのほか単発型プログラムとして「アンチドーピング教育」、「栄養教育」など、内容は多岐に及ぶ。
「スポーツ教育というと、練習三昧の日々を連想する方もいるかもしれません。しかし、『競技力』だけを伸ばそうという発想ではないんです」と、説明するのは事業開始以来、若き選手たちを見守ってきたディレクターの平野一成氏だ。
「運動能力の高い選手の競技力だけを伸ばしたら、国内の大会では勝てても、国際大会では通用しません。小さなコップに水を注いでも溢れ出てしまうように、体を鍛えてもスポーツの限界はいずれ訪れます。特に10代の若さでは競技力以前に、人間性の器を広げることが大切。そこで『競技力』に加えて、『生活力』『知的能力』を伸ばそうというのが、アカデミーの方針です」
その考えはすでに選考段階で表れている。公募者は各競技団体の推薦のほか、学校の出席日数や通知表、内申書が良好であることが必須。面接に加え、筆記試験では計算や作文、英語なども行われる。まさに文武両道でないと入学できない仕組みだ。
「かつて『アスリートは脳みそも筋肉でできている』という皮肉めいた言葉がありました。しかし、脳みそは脳細胞でできていないと困るし、『考える力』がなくては一流のアスリートになれません」(平野氏)
アスリートが言語について学ぶ理由
教師と高2の少女5人が机を囲んでいる。手にしているのは、詩のプリントだ。黙読した後、教師が「意味わかった?」「ここに出てくる『日常性』って何のこと?」「詩を分析的に読むことと、あなたたちがスポーツに取り組むこと、つながりはどこにあると思う?」と矢継ぎ早に質問を繰り出していく。生徒たちは質問の量にたじろぎながらも、頭に浮かんだ言葉を必死に伝えていった。
これは授業のひとつ、「言語技術教育」だ。見た絵を厳密に言葉で描写、教師が読み上げる物語を400字で要約など、言語力を鍛える数々のカリキュラムが行われる。基本的に言葉が不要なスポーツで、その必要性はどこにあるのだろうか。
「コーチの指示を無条件に聞き、阿吽の呼吸で自分のコンディションをわかってもらえるのは小学生まで。試合の様子や自分のコンディションを的確にコーチに伝えられるかどうか。自らの思考を論理的に言語化する能力は、確実に将来の競技成績につながるんです」(平野氏)
言語技術教育を担当する三森ゆりか氏は、生徒について「教わっていることが競技に必要だと理解した途端、すごい集中力を発揮します」と語る。