西日本では農耕に牛を使い、老廃牛の肉に親しみがあった

なぜ、関西を含む西日本では、豚肉料理が受け入れられるのが遅れ、今でも「肉といえば牛」という考えが残っているか。

これについては、もともと西日本では農耕に馬より牛を使うことが多く、以前より老廃牛の肉に親しみがあったからという説が有力である。しかし、豚肉を受け入れるのに西日本では時間がかかったというより、むしろ、東日本では豚肉を受け入れやすかったと見ることもできる。すなわち、東日本に多かった農耕馬はそもそも肉畜には向いておらず、生活向上に伴う肉需要の高まりに対して東日本では豚肉で対応するしかなかったとも考えられよう。

いずれにせよ、牛肉が肉食の中心だった明治期を過ぎて、飼料量に対する食肉量の比率で計算される飼料効率が牛より高く、相対的に値段も安い豚肉と鶏肉の躍進がはじまった。

現在もなおその動きが地域的に時間差を伴いながら進行中だと見ることができよう。その中で、地産地消など食の地域個性を重視する意識も高まっており、今後は、食べ方の多様化を伴いながら、肉を食べるなら牛か豚か鶏かの選択をむしろ楽しむ時代が続いていくと思われるのである。

【関連記事】
生活困窮率の高い地域と「豚肉食」の露骨な相関
貧乏な人が豚肉と麺をたくさん食べるワケ
ガストの「1人席」はなぜ最高に仕事が捗るのか
500円→540円の値上げで進む「てんやの客離れ」
コンビニの「サラダチキン」を食べるバカ