教皇が「ゾンビの国」日本に残した言葉の本質

メディアは核兵器廃絶など平和メッセージの部分をこぞって取り上げたが、どのスピーチも聴衆に徹底的に寄り添い、工夫と思いが込められたものだった。

写真=時事通信フォト

特に筆者の印象に残ったのが、東京で若者向けに開かれたミサでのスピーチだ(11月25日、東京カテドラル聖マリア大聖堂で行われた「青年との集い」での講話)。いじめなどの経験を語った若者3人に対し、逆境にどう立ち向かっていくのかを説くという格好だったが、事前に用意された他のスピーチとは異なり、熱がこもり、教皇のアドリブもかなり入ったため、予定の時間をかなりオーバーしたという。

「(多くの人が、人と上手にかかわることができずに)ゾンビ化している」

とりわけ教皇が強い言葉で警鐘を鳴らしたのは、世界中で社会問題化している孤独、つまり、現代人の「心の貧困」だった。

やや長くなるが、不安な時代を生きる日本人の心にずしりと響くそのスピーチの一部を抜粋して紹介し(筆者意訳)、そこから私たちが受け取るべき意義を後述したい。

【フランシスコ教皇のスピーチ内容(筆者意訳)】

人やコミュニティ、そして全社会が、表面上は発展していたとしても、内側では、疲弊し、本物の命や生きる力を失い、中身の空っぽな人形のようになっている。(中略)笑い方を忘れた人、遊ぶことのない人、不思議さも驚きも感じない人がいる。まるでゾンビのようで、彼らの心臓は鼓動を止めている。なぜならそれは、誰かと人生を祝い合うことができないからだ。

もし、あなたが誰かと祝い合うことができたなら、それは幸せであり、実りある人生となるだろう。一体、何人の人が、物質的には恵まれていても、例えようのないほどの孤独の奴隷になっているだろうか。繁栄しながらも、誰が誰だかわからないこの社会において、老いも若きも数多くの人を苦しめている孤独に私は思いをはせる。最も貧しい人に尽くしたマザー・テレサがかつて、予言的なことを言った。「孤独と誰からも愛されていないという感覚は最も残酷な形の貧困である」と。