オノ・ヨーコが審査員だった時代

広いビエンナーレ会場を関係者は一日中歩き回り、体力だけでなく神経も使い果たすので、そのタイミングでみんなが集い気軽に交流できる場を探しています。それがあれば、申し分ないでしょう。そのためにベネッセが交流の場を主催し、話題づくりのために新人賞を出したのです。

審査員にはオノ・ヨーコ、元森美術館のデビット・エリオットやダニエル・ビーンバウム、ハンス・ウルリッヒ・オブリストなど、今ではトップキュレーターやディレクターが名を連ね、毎回入れ替わりで審査にあたりました。

受賞者も、蔡國強、オラファー・エリアソン、ジャネット・カーディフ&ジョージ・ビュレス・ミューラー、タシタ・ディーンなど、今では皆がトップアーティストです。中には作品一点の価値が今では何千万円か、それ以上もするアーティストたちもいます。

審査する側も審査されるアーティストたちも主催する我々も若かったのですが、そういった時期に一緒に仕事をするというのは、大切です。だれでも若いときに同じ経験をした仲間はよく覚えているのではないでしょうか。そういう仲間こそ、いざというときに頼りになります。

気の置けない関係とは、なにも地縁血縁だけではありません。遠く離れていても、同じ釜の飯を食べた仲間こそが、もっとも信頼の置ける関係といえるでしょう。それは何も国内の友人に限ったことではありません。

このように世界の美術関係者と関係をつくることで広いネットワークが形成されていき、直島の名は徐々に世界で知られていきました。ささやかですが、継続的なイベントの開催が、後に直島が知名度を獲得することにつながっていったのです。

「フェイス・トゥ・フェイス」の関係が一番重要

アートは、大量生産品ではなく、最初は大衆的な存在でもなく、また誰もが必要とするものではありません。嗜好性が強く、人を選ぶものです。

そういったものを宣伝するのに、マスメディアを使う必要はまったくないのです。

ビジネスの初期というのもこれと同様なのではないかと思います。当初は多くの人に知ってもらうことよりも、少数でもいいので価値を共有することができ、業界に影響力のあるインフルエンサーに知ってもらうことが大事なのです。

アートの場合は、特にこの傾向が強く、むしろクローズド(閉じられた)な場でもいいので、価値観を共有するプロセスが必要で、それから徐々に情報が外へと拡がっていき多くの人が知っていくという流れがいいのです。

そのためには、まずはよき理解者を得ることが一番重要なのです。その人たちにいいと言ってもらうことで、大きな「信頼=ブランド」をつくり出していくことができるからです。誰でもいいから知ってもらえばいいというのでは、ダメなのです。

然るべき人たちに、しっかり情報を届ける。それが一番できるのは、今も昔も変わらない「フェイス・トゥ・フェイス」の関係で人と会うことです。そのための適切な場を知り、人を知ることが、大切です。

世界は広く、多くの人たちがいますが、物事を動かしている人たちは、ほんのひと握りです。その人たちにどのように届けたらいいかをいつも考えた上で、行動に移すべきなのです。