なぜ神戸の復興は遅れたのか──。経済の観点から「震災以後」を知る元日銀神戸支店長に聞いた。
「阪神・淡路大震災に比べて――」。東日本大震災の復興について語られるとき、決まってこの言葉が前置きになっているように感じています。それも、「阪神・淡路大震災のときは復興が早かったのに、なぜ今回はそうできないんだ」という論調がほとんどです。けれども、それは違う。阪神・淡路大震災への対応は失敗続きだった。復興は極めて遅かった。方向も間違っていた。そこから出発する必要があります。
たとえば1995年の震災では、村山富市首相(当時)が、「私有財産に国はカネを出せない」といって、被災者への給付を否定していました。その後、議員立法によって98年に「被災者生活再建支援法」が制定され、自然災害で住宅に被害を受けた世帯に生活必需品や引っ越しの費用が支給されるようになりました。また2007年の法改正では、使途制限が撤廃され、ガレキの撤去や住宅の建設にも支援金が使えるようになりました。状況は改善しているのです。
ハードインフラにおいても、改善は顕著です。日本銀行神戸支店があった三宮では、1月17日に震災があってから、水道の復旧は2月末、ガスは4月に入ってからでした。鉄道では、新幹線が全線復旧したのは4月1日のことでした。約2カ月半もかかった。今回は仙台に限っていえば、中心部のライフラインはほぼ復旧。新幹線は45日後に運転を再開しました。都市部での復旧は驚異的な速度で進んでいるのです。
なぜ神戸の復興は遅れたのか――。その「反省と教訓」が、早期復興のヒントになると思います。