なぜ神戸の復興は遅れたのか──。経済の観点から「震災以後」を知る元日銀神戸支店長に聞いた。
被災地の地域経済は、「景気循環の波」「構造調整の波」「プラスの波」「マイナスの波」という4つの波にさらされています。いま目の前に起きている現象が4つの波のうち何によるものなのか。その見極めが、経済復興の成否を左右することになります。このうち、「景気循環の波」と「構造調整の波」は外部要因です。世界経済の動向や産業構造の変化に対しては、どうしても受け身にならざるをえません。しかし「プラスの波」と「マイナスの波」はコントロールできます。
いま被災地には、「マイナスの波」が押し寄せています。地震や津波によって生産設備が破壊され、多くの人が生活拠点を失いました。さらに観光客などの客足も途絶えています。その半面、「プラスの波」もやってきます。今後、官民ともに復興関連の様々な投資がはじまるからです。
神戸では、長田区の地場産業だったケミカルシューズ業界が大打撃を受けました。これはアジアの安価な製品の台頭という震災以前の「構造調整の波」に加えて、震災による「マイナスの波」が連続して襲ってきたというものでした。
一方、「プラスの波」を最初に活かして立ち直ったのは飲食業でした。被災直後からライフラインの復旧のために建築関係者がたくさん入ってきました。彼らは、飲食を求めているし、金も持っている。真っ先に営業を再開したのが、中華街の中華料理店だったのは象徴的です。
ライフラインが復旧した4月、私は被災地での「自粛ムード」を払拭し、「プラスの波」を大きくしようと、神戸にある大企業の支店長たちに声をかけ、月2回ほど大宴会を開くことにしました。150社に声がけし、毎回、約300人のパーティを市内のあらゆるホテルで行いました。なかには「不謹慎にはならないか」と心配する人もいましたが、「我々が率先して消費し、雇用を生み出すんだ」と説明しました。
大企業のトップが宴会に出ていることが知られれば、取引先の企業でも、宴会を自粛することは減るはずです。宴会では、本社近くで行われる支店長会議などの会場を、神戸に変えることも呼びかけました。
「我々を自粛の材料にしないでくれ」。16年前、神戸でそんな声を数多く聞きました。それが被災地の人々の本音です。震災後、年間2700万人の観光客は3分の1の900万人にまで減りました。人の動きが滞れば、経済は死んでしまう。放っておけば被害は拡大していきます。
過剰な自粛は「プラスの波」を殺します。とくに仙台の経済を萎縮させてはいけません。神戸の復興を支えたのは、大阪、京都、奈良、名古屋などの後背地の存在でした。物資も人も、後背地を経由してどんどん入ってきた。仙台には東北地方の中心都市として、1日も早く元気になって、復興の拠点になるという役割がある。それが沿岸部の復興を力強く支えていくことになります。