「復旧は11日以降」が物語る東電の社風

君津市では送電線をつなぐ鉄塔2基が倒壊した。風速40メートルを基準に鉄塔は造られているといい、局地的に猛烈な強風が吹いたことをうかがわせる。

とはいえ、東電の発表はあまりにも杜撰ずさんだった。最初の発表だった「復旧は11日以降」という表現はまさに東電の社風を物語っている。9月27日でも11日以降であることに違いはない。迅速な対応をするので、すぐに復旧できるという「責任回避」の意識、「事態を軽く見せたい」という意識が働いていたのだろう。希望的観測だったと言ってもいい。

だが、利用者からすれば、それは何の役にも立たない。いつ復旧するかが知りたいわけで、そこで「11日以降」と言われれば、11日か12日には復旧すると考えるのが人情だ。初めから1週間は停電が続くと言われれば、千葉県外に一時避難するなど対応も取れた。つまり、情報の出し方が利用者目線からかけ離れていたのだ。

復旧想定が何度もズレたことへの言い訳も、また東電の体質を物語っている。またしても「想定外」を持ち出したのである。

「想定外」という言葉は、東京電力福島第一原子力発電所の事故が起きて、何百回使われたか分からない。想定外の津波が来て、想定外の全電源喪失が起きた。水蒸気爆発で原子炉が破壊されることになるとはまったく思わなかった。自然災害で防ぎようがなく、自分たちには責任がない、と言わんばかりだった。その「想定外」をまたしても理由にしたのだ。

福島原発の「想定外」は認められた

ちなみに福島第一原発の事故をめぐって強制起訴された勝俣恒久・元会長ら3被告への東京地裁の判決が、停電が復旧していない最中の9月19日に言い渡された。

検察がいったん不起訴としたものを不服として強制起訴に持ち込まれたもので、検察官役の指定弁護士が、無罪を主張する3人に禁錮5年を求刑していた。検察官役側は、原発の主要施設の敷地の高さである10メートルを超す津波は予測できたのに対策を怠ったことが事故を招いたと主張、業務上過失致死傷罪に当たるとした。焦点は、巨大津波を具体的に予見できたか、対策を講じていれば被害は避けられたか、だった。まさしく「想定外」という主張が妥当かどうかが争われたのだ。

結局、東京地裁は、勝俣元会長らの責任を問うことはできないという判決を下した。「想定外」だったという主張を認めたわけだが、多くの被災者の心情からすれば、納得のいくものではなかっただろう。

話を戻そう。今回の大規模停電も「想定外」の自然災害だったので、東電としてはいかんともし難かった、という話で終わるのだろうか。

なぜ、被害を正確に把握できなかったのか、復旧予測の立て方は適切だったのか、停電地域の住民への情報伝達のやり方は正しかったのか、そもそも、なぜ鉄塔が倒れることになったのか、今回の停電を機に、きちんと検証をすべきではないのか。そのためにも「想定外」で済ませてはならないだろう。