若い人はオウムの持つ毒の部分に引きつけられた

議論が進むにつれ、司馬さんの麻原・オウム批判は、さらに苛烈なものになっていく。

【司馬】麻原は、平凡な精神医学者が鑑定しても、まず誇大妄想と言うでしょう。自分の妄想をほんとに信じて次の妄想を生む、そういう性質だと。僕は、麻原にどんな宗教的権威も、哲学的権威も与えたくないものだから、こんなふうに言いきってしまいたいんですがね。(対談PART1)
【司馬】よく言われるように、宗教はたしかに狂気の部分を孕んでいる。また狂気の部分を孕んでいなければ、宗教が宗教たるゆえんはないのかもしれません。だけど、「宗教は狂気でなければならないんだ」という意見には、僕は反対なんです。(中略)
【立花】でも、宗教というのは、もともと無害なものじゃないでしょう。キリスト教だって、社会的に認められたのは、キリスト死後300年もたってからで、それまでは、こんな有害な宗教はないと思われていたから、信者は片端から処刑された。仏教の出家思想だって、反社会的なものとみなされた。
既成宗教がみんな無害なものになってしまったから、若い人はかえってオウムの持つ毒の部分に引きつけられたんじゃないでしょうか。

人間は、もう宗教に救われてなくていい

【司馬】法隆寺が風景になっているように、既成宗教は風景になっている、だから人を救えないんだという意見がある。しかしそういう言い方は現代人をなめすぎています。
人間はね、もう宗教に救われなきゃいけない具合にはなっていないんです。人間の方が進化して、耐性をもったいろんな抗体もできている。いまイエス・キリストが出てきても、そのへんにいる普通のおじさん、おばさんでもたじろがないですよ。
オウム論をする場合、狂気こそ宗教だ、従ってオウムが狂気であるのは当然だというのは、僕は大学の研究室の中の言葉にしておいてほしいんです。〉(対談PART2)

司馬さんは翌年、21世紀を迎えることなく、突然に世を去る。

この発言が「遺言」であったかのように。

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