若いときの方が「オジサン」だった

そんな5歳児の暮らしを身につけた僕ですが、僕にもいわゆる「オジサン」時代がありました。型にはまっていた時代です。むしろ若いときがそうでした。大学生は大学生らしくしなければならない、博士号を取ったのだから、博士号を取った人らしくしていなければならない、と考えていました。

東大に通っているということで、エリート主義になったり、どこかもったいぶったり、僕の脳が文脈に過剰適応してしまっていたのです。

若くしても「オジサン」のようになることはあるし、一度「オジサン」になってしまってもまた5歳児に戻ることができます。「らしさ」を獲得しようとするのは脳の癖であり、「強み」であると同時に「弱み」でもあるのです。

ですからみなさんも、5歳児を目指してみませんか?

「年を取るのは不幸」は間違った思い込み

あなたは、さまざまなシチュエーションで、人に年齢を聞いてはいませんか?

もし聞いているとしたら、それは何のためですか?

他人に対して気にしていることは、実は、自分に対して不安に思っていることなのです。

われわれは、年を取ることにネガティブなイメージを持っています。年を取ることは、坂を下ることで、だんだんと惨めになると思っています。

先ほど紹介したアップルホワイトさんは、それは事実ではないと言います。たとえば、若い人は死を恐れ、忌み嫌いますが、そのような死に対する恐怖は、年を取ったほうが少なくなり、人生で最も幸福感を抱くのも、年齢が上がったときであると語ります。実際、人間の幸福度は、年を取れば取るほど下がるわけではなくて、U字型になる(つまり、子どもとお年寄りが特に幸せ)というエビデンスがあります。

年を取ることについて、われわれは間違った思い込みをして、勝手に不幸になっているのです。アップルホワイトさんによると、女性が不幸になるのは、女性だからではなくて、女性差別があるからで、年を重ねた人が不幸になるのは、体や認知機能が多少衰えたからではなくて、それに対する差別があるからなのです。