高度成長期の終わりとともに蜜月関係に陰り

しかし当時の西山弥太郎社長は「臨海製鉄所で鉄を造れば、競争力のある製品ができ、それを世界に輸出できる。これからは鉄だ」といささかもひるみませんでした。次第に官僚や企業人の間に川崎製鉄を支援する動きが広がり、融資を申し出る銀行が複数出現。ついに川崎製鉄は資金を調達することに成功し、千葉製鉄所建設を成し遂げたのです。川崎製鉄のその後の成長については改めて述べるまでもないでしょう。

しかし、こうした銀行と企業の蜜月は高度成長期の終わりとともに陰りを見せるようになります。そもそも社会が成熟してくると、企業は必ずしも銀行に頼らなくても資金調達ができるようになっていきます。現在では企業は成長すると社債や株式の発行を通して、銀行を通さずに市場から直接資金調達する機会が増えています(直接金融)。クラウドファンディングのような方法も出てきました。銀行は、企業にとってなくてはならない存在とは言えなくなってきているのです。

大規模設備投資の需要がなくなってしまった

もう一つの理由は、産業構造の変化です。

戦後日本の経済成長の中心は長らく製造業でした。成長に伴って設備投資を必要とする製造業に対して資金を融資し、それがさらなる経済成長につながっていくという循環の中で、銀行は役割を果たしてきたと言えます。先に挙げた川崎製鉄のエピソードはまさにその時代のものです。

しかし、時代は変わり、今も製造業は日本社会の主要な産業の一つですが、かつて日本を支えた重厚長大産業の成長は鈍化し、大規模設備投資を必要とするような需要はもはやほとんど見込めません。

間接金融ニーズの衰えに加え、そもそも資金需要そのものが低下している――。

従来型預貸ビジネスは、日本が力強く経済発展を遂げていた高度成長期だからこそ、機能していたビジネスモデルだったのです。

バブル崩壊直前には、従来型預貸ビジネスの衰退を象徴する事件も起きました。日本興業銀行(興銀)が引き起こした「尾上縫事件」です。