食べることは「快感」を得ること

米国の成人の平均体重は、1960年から2010年までの50年間に、10キログラム以上増加しました。これほど速い変化が、遺伝によるものでないことは明らかです。人の食欲コントロール機能が、正常に作動しない「何か」があるということです。

食べることは、エネルギー源や栄養素を取り込むことはもちろんですが、「快感」を得ることも重要な目的のひとつです。何かを食べておいしく感じる機能は、単に快感や至福感に浸らせるためというより、その快感をもっと手に入れたいという意欲と行動を生じさせるためにあると考えられます。つまり、おいしく感じたものを積極的に身体に取り込ませるために快感が存在しているということです。

人間は脳でおいしさを感じるため、食の行動過程ではさまざまな脳内物質が働きます。アヘンやモルヒネなどの麻薬には、鎮痛作用や陶酔作用のほかに、摂食を促進する作用もあり、このような薬物を全身に投与すると、多くの哺乳類において摂食量が増加することが報告されています。しかも、その効果は動物が本来好む味刺激に選択的に応答することが知られています。

「やみつき」にさせる脳内麻薬の作用

脳内にもともと存在する内因性のモルヒネ類似物質が、「β(ベータ)-エンドルフィン」です。β-エンドルフィンは脳内麻薬ともいわれ、いったん好きになったものを「やみつき」にさせる作用があります。

おいしく感じる情報は、「報酬系」として知られる脳の腹側被蓋野(ふくそくひがいや)や側坐核(そくざかく)と呼ばれる部位に送られ、もっと食べたいという感情を生み出します。このとき「ドーパミン」を中心とした神経伝達物質が働きます。ドーパミンは、「食欲」を引き起こす物質です。自分の好物を見ただけで、ドーパミンが分泌され、食欲がかきたてられます。一口食べて、味の情報が脳に入ると、報酬系はさらに活性化されます。その情報が視床下部に送られると、摂食促進物質が放出され、実際に食べる行為へとつながっていきます。

おいしい食べ物が食欲を暴走させる

石川伸一『「食べること」の進化史』(光文社新書)

長い飢餓の時代を生きてきた私たちの祖先は、おいしいものを求め、積極的に食べたくなる強力で巧妙な脳のしくみを整えてきました。それが今の時代は、私たちがおいしさをより強く求めることで、β-エンドルフィンやドーパミンといった脳内物質がたくさん分泌され、その結果、摂食中枢のアクセルが強く踏まれ、満腹中枢のブレーキでは抑えきれない状態を作り出したといえます。すなわち、脳内麻薬物質を出させる食べものが身の回りにあふれていることが、社会の肥満を増加させている大きな要因のひとつです。

つい食べすぎてしまうのは、食べものが報酬系を刺激して、私たちに快感を与えすぎるからでしょう。つまり、おいしい食べものは、ヒトの脳内ホルモンを暴走させ、本人の意思とは別に、食べる行動を変え、さらにはその身体をも変えてしまう力があるということです。

石川 伸一(いしかわ・しんいち)
宮城大学食産業学群教授
1973年、福島県生まれ。専門は分子調理学。東北大学大学院農学研究科終了後、日本学術振興会特別研究員、北里大学助手・講師、カナダ・ゲルフ大学客員研究員などを経て現職。著書に『料理とのおいしい出会い 分子調理学が食の常識を変える』(化学同人)、『必ず来る!大震災を生き抜くための食事学』、共訳著に『The Kitchen as Laboratory 新しい「料理と科学」の世界』(講談社)など。
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(写真=iStock.com)