日本のマンガは素晴らしい
古典や名作もさることながら、日本には大衆文学という国民の誰もが手にできるジャンルがあります。私もその恩恵に浴した1人ですが、少年時代には「立川文庫」と名づけられた講談本のシリーズがありました。猿飛佐助とか霧隠才蔵、真田幸村といった架空や実在の主人公の八面六臂の活躍に血をたぎらせ、肉を躍らせることで感情を育まれました。
マンガの素晴らしさも日本ならではでしょう。私が20代末にアメリカに留学したときのことです。母に頼んで「文藝春秋」とともに「少年マガジン」も送ってもらいました。その理由は「巨人の星」や「あしたのジョー」が読みたかったからです。星飛雄馬や矢吹丈の生きざまは、間違いなく若者の気持ちをゆさぶります。しかも、これらの作品のストーリーには庶民の哀感、人情の機微、武士道の神髄もがふんだんに含まれていたのだと後に気づきました。
加えて、世界の歴史を知ることは国際情勢を判断する視座を獲得することにもなります。例えば、第2次世界大戦のはじまる39年8月23日、犬猿の仲であったドイツのヒトラーとソ連のスターリンの間で独ソ不可侵条約が結ばれました。しかし、この条約には独ソ両国に挟まれるポーランドを分割統治するという恐るべき密約がありました。ゲルマン、ロシアという民族はそうしたことを平然とできるわけです。
ひるがえって、今日の日本はどうでしょうか。万が一、アメリカと中国が同じような発想をしたとしたら、日本も安穏としてはいられません。米中は合理的な思考をする点などはよく似ているので、今の対立は近親憎悪のようなものですが、共通点が多い両国が手を結んで、かつてのドイツとソ連のように日本を食い物にする可能性はいつでもあるのではないでしょうか。それが大国の国際戦略ですから、それぐらいのことは想定し、自主防衛に力を入れないといけません。歴史から現代を見るというのはそういうことなのです。
最後に物をいうのは人間性と教養
いくつもの伝記を紐解くと立志伝中の人物には、それぞれ立身出世して高い地位につこうとする「青雲の志」がありました。私自身、学生時代は「男児志を立てて郷関を出ず。学もし成る無くんば死すとも還らず」の決意で勉学に励みました。それは、ある意味で人生の修行を続けることでもあります。そのプロセスで人間の器が大きくなります。
欧米では盛んに真のエリートをつくる教育が行われてきました。イギリスならイートン校のようなパブリック・スクールやオックスフォード大学、ケンブリッジ大学があり、フランスには大学より格上のグランゼコールがあります。