先見のある「日本企業」は日本を捨てる

2006年ごろから先見のある「日本企業」は日本を捨て、グローバルに戦うことを決めた。世界市場を意識して外国人留学生を積極的に採用する企業も増えている。日本企業が日本人を雇わなければならないという理屈は存在しないので、ここで決定的に「日本企業」と「日本国民」「日本政府」は分離・反発することになる。優秀な外国人を新たな乗組員として迎え入れることができた企業からそそくさと世界航海に乗り出しているのだ。

逆に日本から出て行かない日本企業は、政府の庇護のもとにある重厚長大企業と、その体力がない中小零細企業だけだ。

では、「日本企業」に去られる可能性の高い「日本国民」と「日本政府」はどう出るか?

前提として、行政の無駄はなくならない。市民革命を経験していないこの国は実質的には封建国家であり、国民が「お上」に口答えすることは決してないのだ。

そうなると財源の確保が問題になるので、政府は出て行ってほしくない企業に媚びて法人税を下げる方向で動いている。そのしわ寄せは消費税増税である。ただ消費税の増税はさらなる内需の圧迫につながることになり、国内の閉塞感はますます高まらざるを得ない。

「出て行ける者」から日本を出ていく

加えて、政府は国民資金のロックによる財源の確保を狙うだろう。政府の負債と国民の預貯金はそれぞれが1000兆円でプラスマイナスゼロの関係にあるが、それは国民が間接的に国債を買っていれば成り立つ関係だ。

だが国民も、今さらゆうちょにお金を預け、政府にだまし取られるほどバカではない。グローバル企業へと進化する日本企業や、成長する海外企業・資産へ少しずつ財産を移すはずだ。

国民からも財源を確保できないとなると、政府は国民の要請をかなえることは何一つできない。もし一つあるとすれば、それは「日本円通貨の国際的なIR(資本家対話)」であり「高度な産業資本政策」であるが、そのような機能を持つ組織はない。では今後新たな組織が生まれてこの国を導くかと言うと、情報化・分散化が進んだ今、そんなことはありえない。

だとするならば、出て行ける者から出て行くとなるのが当然だ。

若者はグローバルに出て行く新進気鋭の中堅企業に乗るか、グローバルで戦う外資系企業、あるいは自らの筏(いかだ)で世界を巡るしかない。それができないとしたら、新たなコミュニティを地域やバーチャルに形成し、その中で小さな生活と幸せを享受することになるだろう。