「熊谷は、群馬ではないか」の歴史的背景

劇中の「埼玉ネタ」にまつわる歴史的背景について、いくつか述べてみよう。

「現代編」で埼玉出身の夫(ブラザートム)と千葉出身の妻(麻生久美子)が口論する場面がある。妻は埼玉愛を主張する夫に対して、夫の出身地である熊谷は「埼玉ではなく、群馬ではないか」と難じる。もちろん現在の熊谷は埼玉県の一部であるが、実は熊谷を含む埼玉県西部が現在の群馬県と1つの県であった時代があった。

前述のように埼玉県ができたのは1871(明治4)年のことであった。そのとき熊谷を含む現在の埼玉県の西側には、川越を県庁所在地とする入間県が設置された。その後、1873(明治6)年6月に入間県は群馬県と統合し、熊谷を県庁所在地とする熊谷県が成立した。熊谷は群馬どころか、熊谷の名前を冠する県の県庁所在地であったのである。

©2019 映画『翔んで埼玉』製作委員会

そうした意味で埼玉県北部と群馬県が近い関係にあるのは理由がないことではないのである。この熊谷県の時代は短く、1876(明治9)年8月には元の入間県の部分が埼玉県と統合し、ほぼ現在の領域をもつ埼玉県が形作られることとなる。

ちなみに、映画中盤の山場に県境の江戸川にかかる流山橋を挟んで埼玉県人と千葉県人が対決する場面がある。現在では江戸川が埼玉と千葉の県境であるが、これも最初からのことではない。現在の幸手市から松伏町のあたりでは、1871(明治4年)の府県統合の際には埼玉と千葉(この時は印旛県と呼ばれていた)の県境は、武蔵国と下総国の境界であった庄内古川(中川)とされた。

しかし、河川管理などの都合上、中川の東の江戸川を境界としたほうがよいということとなり、1875(明治8)年、この地域でも江戸川が県境となったのである。このとき中川と江戸川の間の葛飾郡43カ村に住む人々は千葉県人から埼玉県人となったのであった。

「埼玉の所沢には東京航空交通管制部がある!」

同じ夫と妻の口論の場面で、お互いに埼玉と千葉のいいところを言い合うなかで、妻の「千葉には成田空港(新東京国際空港)がある」に対して、埼玉県出身の夫は「埼玉の所沢には東京航空交通管制部がある!」と力説する。航空交通管制部は航空機の交通をコントロールする重要な機関であるが、それが所沢に設置されていることにも歴史的な理由がある。

日本で最初に飛行機が飛行したのは1910(明治43)年、陸軍代々木練兵場(現在の代々木公園など)でのことで、1903年に米国のライト兄弟が初飛行してから約7年のことであった。この日本での初飛行の翌年に日本最初の飛行場が建設されたのが、実は所沢であった。これは陸軍の飛行場で、その後、所沢には航空教育のための学校が設置され、周辺の埼玉県内にも多くの陸軍飛行場が建設された。

このように、埼玉県は日本航空史における重要な場所であった。東京航空交通管制部はこの所沢陸軍飛行場の跡に置かれている。このほか飛行場跡は所沢航空記念公園となり、また所沢航空発祥記念館がある。

劇中にはさまざまな「埼玉ネタ」がちりばめられているが、このようななにげないやりとりのなかにも埼玉県の歴史や文化が垣間見える。