「死の知らせを聞いたとき、いままでにない欠落感を抱きました」
こう語る文芸評論家の高橋敏夫さんは本書で、2009年4月に亡くなった井上ひさしさんの世界を縦横無尽に論じた。『ひょっこりひょうたん島』に代表される脚本、『吉里吉里人』や『手鎖心中』などの小説、そして言葉、思想、国家とあらゆるテーマを描いた数多の戯曲……。
「これだけ幅広いジャンルで自分らしさを発揮した人はどこを見渡してもいないからです」
膨大な井上作品を読み解くにあたって、鍵としたのは彼の作品になくてはならない「笑い」、それも「希望としての笑い」という視点だ。しかし、「笑い」が希望になるとはどのような意味なのか。
「いまの世の中に笑いが溢れているのは、がんじがらめの社会の中で、笑うことが少しの自由・浮遊感をもたらしてくれるからでしょう。でも、けたたましく笑うだけでは、浮遊しては落ちることを繰り返すだけ。不安な社会を映し出すかのような『笑い』です。一方で井上さんの作品は、あまりに不自由な状態に置かれた人間が、笑うことによって一瞬の自由を得たとき、さあ次にどうする? という問題提起をするんですね」
もちろん彼にとっても、答えは明確には見えなかったはずだ、と高橋さんは続ける。しかし見えないからこそ、少しでもその先にある何かが見やすい場所に身を置こうとすることはできる。それは「笑い」が希望となる瞬間だろう。
「実際に井上さんにお会いすると、これほど知的で真面目な人がいたのか、という感想を抱きます。目が鋭くて、笑わない。その彼が、『笑い』という行為を通してこれまでにない希望のあり方を見せてくれた。その仕事をしっかりと論じなければ、文学史の中の大事な部分を欠落させてしまう、という気持ちが私にはあります。今後も井上さんの仕事の意義と位置を確定させる試みを続けていきたい。この本はその最初の一歩だと思っています」