元Jリーガーの嵜本晋輔氏は2003年に戦力外通告を受けた。次の仕事は家業のリユース会社。しばらくは失意のどん底にあったが、それから8年後の2011年に起業。2018年には東証マザーズに上場した。成功の要因は何だったのか――。

※本稿は、嵜本 晋輔『戦力外Jリーガー 経営で勝ちにいく 新たな未来を切り拓く「前向きな撤退」の力』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。

上場の鐘を鳴らしても「こんなものか」

2001年にガンバ大阪に入団した私は、2003年に戦力外通告を受け、2011年に起業した過去をもっています。現在の私の仕事は、起業したその会社であるSOUの経営です。SOUは2018年3月、東証マザーズに上場しました。

※写真はイメージです。(写真=iStock.com/champja)

創業から7年で上場というのはかなり早いほうらしく、「起業から7年で上場までこぎつけた」「元Jリーガーがセカンドキャリアで大成功」といったような記事を書いてもらったこともあります。

とはいうものの、いまの自分が「成功している」とは、微塵も思っていません。

たしかに上場を目標にしながら、周到な準備を重ねてきましたが、それは最終的なゴールではありません。誤解を恐れずにいうならば、東京証券取引所で上場の鐘を鳴らしたときの率直な感想は、「こんなものか」でした。

戦力外通告を受けたときには、普段の自分を忘れるほど動揺していたのに、上場の鐘を聞いたときは、驚くほど冷静だった。この15年間で私は、身体を動かし、知恵を絞り、ときには思い切った決断をくだしながら、多くのことを学んできました。その蓄積が、上場の鐘を聞いても私を冷静にさせたのだと思います。本稿では、そのなかでの学びをいくつか紹介してみたいと思います。

戦力外通告を受けて「リユース」の世界へ

私がビジネスを通じて学んだことの一つに、「発する言葉は現実をつくる」という考え方があります。

戦力外通告を受けてから、2004年に私はリユースの世界に飛び込みました。父が営み、2人の兄もそれを手伝っていた家電などのリユース会社に入社したのです。

リユース品というのはある意味で、特殊な商品です。

リユース品は“一点物”です。新品のときは同じコンディションのはずでも、使い方によって状態は大きく変わります。とくに、家電のように大型のリユース品は、目で確認してもらってからでないと買ってもらえないというのが、それまでのリユース業界の常識でした。したがって、インターネットでの販売は「非常識」だったのです。当時はまだ、いまほどネットへのシフトが進んでおらず、スマートフォンがなかった時期でもありました。

だからこそ、「売れないはずのリユースの家電が、インターネットで売れたら面白い」と、思ったのです。

私は「インターネットでもリユース品は売れるはずだ」と決め込み、それを社内に伝え、わざわざインターネット販売部門をつくったうえで、その仕事に専念することにしました。

「売れる」と決めてしまえば、あとは売れるように工夫をするだけです。