「我々は労働力を呼んだが、やってきたのは人間だった」

もう一つの大きな論点は、統合政策あるいは共生政策を有効性ある形でどう進めるかである。

政府は今回、新たな在留資格を創設するとともに、外国人との共生社会の実現に向けた環境整備を行う、としている。7月24日に開催された外国人材の受入れ・共生に関する関係閣僚会議において、「外国人材の受入れ・共生のための総合的対応策(検討の方向性)」が示されており、日本語教育の充実や相談体制の整備、外国人児童生徒の教育の充実、医療・保健・福祉サービスの提供など、一通りの検討項目が指摘されている。その具体的な内容は年内をめどに取りまとめるとしており、これまでのところ国会での議論も余り行われていない。

しかし、この問題は、外国人労働者の受入れの在り方に負けず劣らず、極めて重要な論点である。スイスの代表的作家であるマックス・フリッシュが「我々は労働力を呼んだが、やってきたのは人間だった」と外国人労働問題の本質を言い表している(※4)。外国人労働者の受入れにあたって、彼らは生身の人間であり、生活者であるとの観点を決して忘れてはならない。

この点に関連して、今回の政策転換が「移民政策」にあたるか否かが国会での争点の一つになっているが、そうした問題の立て方は余り建設的であるようには思えない。なぜならば、わが国では「移民政策」という言葉には独特の意味合いが付与されてしまっており、感情的になって冷静な議論ができなくなる恐れがあるからだ。

重要なのは、すでに日本経済は外国人労働者を多く受入れ、彼らなしには成立しない状態にあるとともに、移民であろうと労働者であろうと、一定期間日本に住む以上、彼らが人間らしい生活を送ることのできる環境整備は不可欠になるという事実である。永住権を認めるか否か等の抽象的な議論を行う前に、すでに日本で働く外国人を隣人として受け入れ、共に生活していくという実践を行うことが先決である。そうした「実感」「経験」を欠いた移民是非論は極論に走り、建設的な結論は生まれない。

(※4)指宿昭一(2018)「外国人労働者受入れ制度の新方針」『世界』2018.12号、」94頁。

このまま外国人が増えると社会が分断される

さらに言えば、外国人受入れ政策にとって先ずもって重要なのは、それが移民か否かというよりも、日本で定住し、日本社会で生活する外国人を、どういうペースで受け入れていくかである。

急激でなし崩し的な受入れが国民の排外的な感情を刺激するのは、欧米の最近の動きが示唆する通りである。日本総研の試算では、現状のペースで外国人を受け入れると、10年余り先の2030年には労働者の5~6%前後が外国人となる見通しである。その過程で十分な統合政策・共生政策が行われていかなければ、国民の排外感情が急激に高まっていくにとどまらず、実際にも社会が分断化される恐れを否定できない。