最近学生や社会人の方々とお話していて強く感じるのは、「起業」することが輝く人生への1つの道であるという価値観は、すっかり定着したということだ。
とりわけ、若い世代は、1つの強迫観念のように、「起業したい」と思っている方が多い。
もっとも、現実にはそう簡単ではない。起業して、数年後も残っている会社はごく一部である。ましてや、成功して株式公開にまでこぎつけるのは、ごくわずか。
考えてみれば、すべてのベンチャーが成功したら、この世はベンチャーだらけになってしまう。成功する確率が低いからこそ、活躍する起業家は人々のあこがれとなり、時代のスターとなる。
リスクが高すぎるというので、起業をあきらめて、「普通に就職します」という学生も多い。そんな彼らの本音を聞いていると、ほんの少しの発想の転換で違った道もあるのにと、もったいなく感じる。
人間の脳の働きの視点から、さまざまな方に問題提起したいことがある。それは、どんな人も、会社に勤めている人でも、学生でも、主婦や主夫でも、自分の時間をどう使うかという選択と実行においては、実は自分の人生の「経営者」であり、「起業家」であるということだ。
例えば、会社員が、通勤の電車の中でスマートフォンの画面を見ているとする。一日数十分の時間を、そのようにして「投資」している。何に投資しているのか、それが問題だ。
ゲームをやっている人は、単なる暇つぶしとも見られるし、最新のゲーム事情のリサーチをしているとも考えられる。電子書籍を読むにせよ、どんなジャンルの本を、日本語で読むのか、英語で読むのかで得られる知識は変わってくる。
仕事を終えた後に、どんな人に会うのか、誰と話すのかも、1つの「投資」行動だと見ることもできる。新しい世界を知ることにつながるかもしれないし、仕事に結びつくかもしれない。ありとあらゆる可能性の中から何を選ぶのか、その選択そのものが、人生の「経営」である。