そして映画「電車男」のブーム後、秋葉原という街にスポットライトが当たるにつれ、秋葉原の魅力でもあったグレーゾーンは「内輪同士で秘めるもの」から「その存在を拡散するもの」に変わり、縮小の一途を辿った。

知識がなければ何に使うのか見当すらつかないようなPCパーツや、国内での使用は電波法に触れる拡張機器、これまた使い方によっては法に触れる「マジコン」などを扱う店は思い出の中にしか存在しない。“西のアキバ”として知られる大阪・日本橋には、グレーゾーンに入るような商品などを扱う店が散見され、昔の秋葉原を思わせる。

もちろん、モラルや法に反するものを排斥することや、誰にでもわかりやすい説明をすることは間違ったことではない。ただ、欲望と理性が同居する薄暗かった店が明るい飲食店になっているのを見ると寂しい気持ちになる。

大資本が経営するメイドカフェが乱立している

萌えの形骸化も深刻だ。メイドやAKB48を秋葉原で見ることについては、拒否反応を起こすオタクが多かったと思うが、私自身は嫌いではなかった。内向的なオタクにとって「ただ、自分の中で消化する」というコンテンツは、相性が悪くないように思えたし、萌えに秋葉原はうまく順応できた。

メイドカフェが流行り始めた当初は、働く女性のプロ意識がいい意味で低く、メイドという設定と女性の性格が起こす化学反応が面白かった。文化祭のようにチープな店内で、メイドカフェとは何なのかを自分なりに解釈する。客の想像力に委ねられた世界は、他のどこでも味わい難いものであったように思う。

しかし、メイドカフェに外国語のメニューが置かれ、トリップアドバイザーに登録されるころには、大資本が経営するメイドカフェが乱立していた。店内には“初めての秋葉原”に浮かれる観光客と、紋切り型の役割を演じるメイドが増え、その場を解釈する余地はなくなっていった。