震災後の「大洗店」から始まった快進撃

昨年のJBCで、大会史上最年少のファイナリストとなった安さん(大洗店店長)は、パティシエ志望の専門学校生だったが、授業の一環でコーヒーを学び、バリスタをめざした。

「働いていてやりがいを持つのが、会社にも自分にも“大きな夢がある”こと。会社には『世界一のコーヒー屋になる』という壮大な夢があり、私は『世界一のバリスタになる』という大きな夢があります。友人や同世代と比べて、プライベートを楽しむ時間は少ないのですが、その分、熱中することがある自分は幸せだと感じています」(安さん)

坂本さんも安さんも茨城県の「大洗店」の出身。2人を指導したのは、同社の“バリスタ監督”で取締役の小泉準一さん(42歳)だ。2011年に出店した大洗店の初代店長も務めた。

この店は、好んで出店したわけではない。海岸近くにあり、東日本大震災で被災した大洗の施設に、地元から懇願されたサザは、自らも本店が被災したなか、出店を決意したのだ。

「初代店長となった私は、茨城県が風評被害も受けるなか、サザコーヒーに必要なのは『立派な設備や豆だけではなく、志の高いバリスタ』だと思いました。そこで経験や立場に関係なくバリスタ志望者を募り、JBCのビデオを何百回も見た。度胸をつけるために駐車場で道路に向かってプレゼンもした。朝までみんなで語り合ったこともあります。坂本も安も当時からの仲間。あの時のメンバーが成長してくれて感慨深いです」(小泉さん)

サザのバリスタが、大会で結果を出すようになったのは、2012年からだ。

7月13日にオープンした「KITTE(キッテ)丸の内店」。東京駅のすぐそばにある。(写真提供=サザコーヒー)

「学歴」よりも「本気」を評価

実は小泉さん自身、苦労して取締役に就いた。ひたちなか市出身で、進学でも就職でも希望がかなわなかった18歳の小泉青年が入社したのが、サザコーヒーだった。社内には国立大学出身者もいるが、評価の基準は学校歴よりも仕事への本気度だ。

「会長、社長、副社長は、学歴に対する偏見がなく、私にもチャンスを与えてくれました。私もその意志を継ぎ、若い人たちにチャンスとチャレンジを与えてあげたい。だからコーヒーだけでなく、勉強の仕方や社会性も伝えています」(小泉さん)

長年取材して感じるのが、カフェには“人材再開発”の側面もあること。さまざまな事情で、新卒時や若手時代に挫折を経験した人も、努力次第で成功をつかむことができる。硬直化した大企業よりも小回りがきくのだ。今回紹介した3人は入社事情が違うが、話す言葉は似ている。

「世界一をめざしている」「何事にも熱い会社」「時に叱られ、時にほめられ、家族のような存在」という言葉は、ほかの企業を取材していてもほとんど耳にしなくなった。