米国出身の自動運転担当は「感動した」とこぼした

トヨタを始め日本の自動車メーカーには現地、現物で物事を考え、そこでひたすら改善に向けて努力するという考え方が根強い。自動車の安全技術の向上も日々の努力の積み重ねの結果でしかない。AI技術の発達や、それに伴う画期的な自動運転技術の実現が突然、目の前に現れるはずはない。各社の技術者が日々、現実と格闘しながらひたすら研究するしかゴールにはたどり着けない。

松久保さんの言葉は「交通事故死ゼロ」という奇跡のような次のゴールをさらに目指し、ひたすら研究せよ、とトヨタ役員らに叱咤激励しているように聞こえた。

2年ぶりに聖光寺の夏季大祭に参列したプラット氏と米グーグル出身のジェームス・カフナー氏。2年前はTRIの最初の取締役会が蓼科のトヨタの社内施設で開かれ、その機会に参加した。トヨタが本格的に自動運転技術の開発に力を入れ始めた頃だった。彼らは当時、「世界の自動車メーカーで50年近く交通安全を願う行事を続けている会社はないだろう。感動した」と感想を述べていた。

その際も住職の松久保さんは法話として「自動運転というものは人の思いが先に立ち、車がそれに従うことが重要です」と語った。たとえ完全な自動運転が実現したとしても人が「主」で車は「従」という関係を維持しなければならないという考え方を求めたのだろう。2年前、プラット氏は法話の真意を知りたいと松久保さんと30分ほど通訳を介して話し込み、「住職の話に心が動かされた」と話した。

トヨタ役員と談笑するギル・プラット氏(右)(撮影=安井孝之)

自動運転の効用は「事故をなくす」という点にある

プラット氏は幼い頃、友人の交通事故を目撃し、衝撃を受けた経験を持つ。夏季大祭への参列で、まずは交通事故を減らすために自動運転を開発すべきであり、高齢者や障害者も自由に安全に移動できるようにするためにこそ自動運転はあるべきではないかと思いを巡らしたのではないか。

それは自動運転が、移動中にドライバーが運転から解放されて車内でメールのやり取りができるようになり、仕事がはかどるといった効率性のためにあるという考え方(それも自動運転の効用ではあるが)とは一線を画す。

住職の法話のテーマがその時々のトヨタの課題と常に重なっているとは限らない。だがビジネスとは距離を置いた高僧の思索が、蓼科という静かな環境の中で毎年一回、トヨタ役員らに何らかの影響を与える効用はあるに違いない。