【岩瀬】コンビニに行っても炭水化物以外のものを探すのが大変で、健康とか食べ過ぎ注意とか、いいものを食べようと思うと選択肢があまりないことに気づきますね。みんなお腹をいっぱいにするのに必死。

黙って1人で食べている人を責めることもできなくて、もっと食の豊かな側面とか、発想とかにつなげるには、そのことを分かっている人が食とイノベーションをブリッジする工夫をしなければいけないと思います。

ラタトゥイユの料理教室も、ほとんどの人は「美味しかったです」で終わってしまうかもしれない。だから、それを翻訳というかサポートしてあげる。たとえば「素材を1人1人の部下だと思ってください」、という感じでやると研修風になるかもしれない。

「最後の食事」に込められたメッセージ

フレンチシェフの松嶋啓介氏

【松嶋】あのときの教室に参加した方から「母と一緒におばあちゃんが最後に病院で亡くなる前に明太子が食べたいって言ったことを思い出しました」ってメールを頂いて、「病院食が美味しくないので、亡くなる前にウチの母と一緒に味の濃いものを食べたいのだと思っていました」と。

僕は「おばあちゃんは明太子が食べたかったんじゃなくて、明太子を食べていた時は明太子の周りに家族の風景があったから、家族ともう一回会いたいっていうメッセージなんじゃないですか」って返信しました。「そんな謎解きは母と僕にはできなかった」って返事が来ましたけど(笑)。

【岩瀬】食と色々な思い出がアタッチメントされているのは、 “食”という行為が人間にとって何万年前からやっている最も本能的な行為だからなんだなぁと思いました。

料理教室で思ったのは“松嶋啓介は哲学者である”ということ。こんなに深く食について考えている人はあまりいないし、それを上手に言葉で発信できる料理人もいないと思って見直したんですよ。

【松嶋】ありがとうございます(笑)。

【岩瀬】美味しい料理を1人のために作れる人はたくさんいるけど、それをたくさんの人に作る、あるいは作らせるというのは違うレイヤーな気がする。