発表する場や制作手段にこだわらないという点では、KADOKAWAは一つの見本と言っていいでしょう。元々は書籍だけを出版していましたが、そのうちに映画制作から始まって、ライトノベル、コミックなども出し、アウトプットのパターンをどんどん増やしてきました。さらにはネット上で電子ブックも配信しています。
その結果、出版だけにこだわらなかったKADOKAWAだけは、出版不況と言われる中、縮小傾向にある小学館や集英社、講談社を押しのけて、売上高で横ばい状態を維持できています。自分たちの価値は、紙の本を出版するという手段にあるのではなく、コンテンツ制作にあるということに1日でも早く気付き、それだけでなく実際に変化を遂げていく必要があるのです。
番組フォーマットの流用で見える危機意識の欠如
いち早く変化を遂げなくてはいけないのは、すでに触れたようにテレビ局にも言えることです。さまざまなコンテンツをテレビという機械でリアルタイムで見ることに、もはや価値はありません。重要なのは、そのコンテンツが面白いかどうかだけなのです。タブレットで見るのか、パソコンの画面で見るのかは、視聴者が勝手に選んでくれます。
ところが、テレビ局側の姿勢はなかなか変わっていきません。例えば、先日日本のテレビ局が制作したドラマをネットサービスで見始めたのですが、とにかく見ていてストレスがたまってきます。
最初にイライラするのは、毎回、話の冒頭で前回の振り返りを数分間見せられることです。オンデマンドで公開する際には、あれを編集でカットすべきでしょう。地上波で1週間に1話ずつ見ている場合は前週までのストーリーサマリーはいいかもしれません。しかし、オンデマンドで見るときは連続して視聴する場合が多く、そうすると「さっきこのシーン見たばかりだよ」と文句を言いたくなるのです。また、オンデマンドではCMがカットされているのですが、CMを挟んだ直後の場面では、話をつなげるためにCM前の映像を10秒ほど見せられます。これにもイライラさせられるのです。
この状況を見てもわかるように、どのコンテンツも地上波専用に作ったという意識を丸出しにしています。有料サービスにもかかわらず、細かいところに気を配っていないのです。アメリカも昔はそうでした。ところが今では、ネットで流す場合はしっかりとリフォーマットしてコンテンツを流しています。簡単な編集作業を行うことでこうした点は改善されるのに、日本ではそれを怠っているのです。こうした点に触れるにつけ、危機意識のなさが垣間見えてきます。