30年前の新宿で味わった「インタビュー」の醍醐味
今から約30年前、夜更けの新宿で取材したある若者のことを、足立倫行さんは今もよく覚えている。
当時、「平凡パンチ」の記者だった20代の彼は、“眠らない街・新宿”をテーマとしたルポを準備していた。その取材で新宿中央公園を訪れたとき――。
「街のボウリング場で働いているという男女に会ったんです。聞けば男性のほうは東北出身で、上京後の苦労や楽しさを、書ききれないほど語ってくれた」
取材の礼をすると、こう言われた。東京にきてから寂しかったけれど、自分の話を聞いてもらえて嬉しかった。こちらこそありがとう……。
「そのとき、僕には得意なことは何もないけれど、こうやって誰かの話を聞くことはできるかもしれない、と思ったんです」
ときに何かを誰かに語りたい、自らの物語を知ってもらいたい、という人間の欲求に触れた瞬間。それは後に『北里大学病院24時』など数々のノンフィクション作品を生み出す、足立さんの出発点となるシーンだった。
本書はその彼が「インタビュー」にとことんこだわった一冊。
「この時代の中で重要な言葉を持つ人たち」――保阪正康、内田樹、佐藤優、森達也、島田裕巳、田中森一、溝口敦、重松清の8人を、「プレイボーイ日本版」に掲載した中から選んだ。
「インタビューのみで人物の全体像を描く場合、彼らの言葉がすべて。相手の奥深くにあるものを探り、なぜ彼らはそう書き、語るのかという核の部分を明らかにする姿勢が必要でした」
足立さんは妻や子供、両親、生い立ちなどについても意識的に注目し、質問を投げかける。
「その人のプライベートが、論壇誌などでの発言とどう繋がっているのかを浮かび上がらせたかったからです。例えば保阪さんには昭和史についての膨大な発言がある。でもその言葉は、彼の家族や生い立ちとどう結びついているのか。父親としての葛藤、息子さんの死を乗り越えた過程……。すべてを含めてとらえることで、初めて真の意味が見えてくることもある」
あるいは50歳を過ぎて言論活動を始めた内田氏はどうか。足立さんは氏の表現への欲求の背景に、妻との離婚があり、娘を育て上げたという父親としての自信を垣間見る。そのように対象の「中心」を探った本書は、インタビューという手法を用いた「人物ノンフィクション」として書かれたのだった。
だからこそ、その一篇一篇には、ノンフィクション作家である聞き手の「核の部分」もまた、同時に底流している。30年前の新宿で遭遇した“語ること、語られること”の醍醐味――足立さんが、本書の奥底に強く込めた思いだろう。