医師の「都市遍在」により、日本の地域医療は崩壊寸前の危機にある。関西から福島県南相馬市に飛び込んだ医師・山本佳奈さん(29)は、1日100人の外来患者を診ながら、月5回の当直をこなしている。今春からは東京大学の博士課程で研究もはじめる予定だ。なにが彼女を動かしているのか。特別寄稿をお届けしよう――。

週8コマの外来と15名程の入院管理、月5回の当直

私は、昨年9月から福島県南相馬市にある青空会大町病院で、たった一人の常勤の内科医として勤務している。医師になって3年目。実力は十分ではないかもしれないが、南相馬に恩返しをしたいという一心で飛び込んだ。

山本佳奈医師。大町病院内科外来にて。

現在は週8コマの外来と15名程の入院管理、月5回の当直をこなしている。多い時には、一日100人の外来患者を診る日もある。身体的にも精神的にもハードではあるが、得難い経験であり、毎日あっという間に過ぎて行く。

病棟から外来に駆け下りて、息を切らしたまま外来をしてしまうと、患者さんに、「先生、大変ね。身体大事にしてね」なんて、心配をおかけすることもしばしばだ。

内科の常勤医は私一人ではあるが、多くの先輩方や大町病院のスタッフの方に支えていただき乗り越えることができていることに、感謝している。大町病院の藤原珠世看護部長は、「先生、いつもありがとうね。ご苦労様」と毎日声をかけてくださる。鈴木好喜事務長は、「困ったことがあれば、なんでも相談するように」と言い、私が全力で業務が行えるように環境を整えてくださっている。搬送となった患者さんの様子を見に、大町病院での勤務を終えてから、前の勤務先である南相馬市立総合病院に行くこともしばしばだ。状況の報告と同時に、「困った症例があったらいつでも相談してね」と言ってくださる先輩がいて、私は本当に恵まれていると感じている。

都内の病院のマッチングは不採用

そんな私は今、南相馬という地で生きようと決意している。その理由は、大学卒業と同時に南相馬に飛び込んだからこそ、今の私があるからだ。

大学5年生の春までの私は、普通の医学生だった。そんな私の人生を大きく変えたのは、当時、東京大学医科学研究所の教授だった上昌広先生だった。関西で生まれ育った私に、上先生は「生まれ育った環境と違う場所に行きなさい」と都内の病院での初期研修を勧めた。

だが、都内の病院のマッチングは不採用。縁があったのは、福島県南相馬市にある南相馬市立総合病院だった。反対されると思い、就職先をなかなか親に伝えることができなかった。両親の「なんでそんな遠いところに行くんや……」という言葉は、一生忘れられないだろう。

しかし、今では心から「マッチングに失敗してよかった」と思っている。相馬市の立谷秀清市長、震災後ずっと相馬地方で診療を続けておられる坪倉正治先生や森田知宏先生、尾崎章彦先生、小鷹昌明先生など、南相馬に来なければ出会えなかった方々との出会いは私の宝物だ。相馬市で昨年開催された国際シンポジウムでは司会も務めさせていただいた。