各界に超一流の人材を輩出する一方で、「桜蔭卒」として最近話題になった人物といえば、秘書を「このハゲ~!」と大声で呼び捨てて週刊誌に報道され話題になった政治家の豊田真由子氏がいる。桜蔭学園とは実際にはどのような学校なのか、謎をひもといていく。
東京・文京区、後楽園や東京ドームシティなどの歓楽地を背に1歩細い路地を曲がると急激な上り坂が現れる。宝生能楽堂のほど近く、緑豊かな住宅街に桜蔭学園はひっそりと佇んでいる。1924年、関東大震災の翌年に桜蔭学園は設立された。初代校長は皇室の教育係も務めた女性、後閑キクノ。「勤勉・温雅・聡明であれ」との校訓をはじめ、いまある桜蔭の素地をつくりあげた。「女子御三家」のうち雙葉はカトリック系、女子学院はプロテスタント系であるのに対し、桜蔭は宗教色を持たず、代わりに日本人としての礼儀や嗜みを身につける礼法の授業が特色だ。
多くの女子校創設ラッシュに沸いた大正時代に創設された1校である桜蔭だが、なぜ数多ある女子校から群を抜いて東大合格率トップを誇る学校にまで成長したのだろうか。著書『名門校とは何か?』で日本の名門校の系譜を記したおおたとしまさ氏は、その背景には桜蔭の創設時の事情があると見ている。
「桜蔭学園の母体は、東京女子高等師範学校(現・お茶の水女子大)の同窓会組織「桜蔭会」です。つまり日本の女子教育界をリードしてきた大学の妹的学校として桜蔭は誕生したんです。その結果、同校は開学時から非常に優秀な教師を集めることができました。実はこれは名門校に共通する大切な条件の1つで、現代でも新設校の1番の課題は、いかに優秀な教師を確保するかという点です。よほどの高給を提示できる場合を除き、新人教師で当初は乗り切っていくしかない。その問題を最初からクリアできた学校としては、ほかにも桐朋中学・高校、筑波大附属などがありますが、いずれも名門校としての基礎を築けています」
立地も幸いした。大学や病院の多い文京の地に住む医師や教員など高学歴層の子女が、最高の教育を受けられる場として桜蔭に送り込まれた。