※本稿は、「プレジデント」(2016年8月29日号)の特集「実家の大問題」の掲載記事を再編集したものです。また個人が特定されないよう、登場人物はすべて仮名とし、事実関係も一部変更しています。
「遺言」は公正証書になっていたが……
地方都市で部品工場を経営する斉藤貴久は、専業主婦の妻と大学生と高校生の息子の4人家族。世間では仕事一筋で家族思いの父親とみられていたが、実は、隣町のクラブに勤める桂子と長年愛人関係にあった。しかも桂子には生まれたばかりの娘がいる。父親は斉藤だが、認知はしていない。
桂子とは子供をつくらない約束だったため、子供ができたと聞かされたとき、斉藤は、そんなことが家族にばれたら家を追い出されてしまうと、産むことを強硬に反対した。だが、桂子に「認知してくれなくてもいい、あなたには絶対に迷惑をかけないから」と泣きつかれ、渋々認めたのだった。
そんな経緯があるとはいえ、子供が生まれるとやはりかわいい。女の子だったからなおさらだ。斉藤は認知できない申し訳なさもあって、自ら桂子に、娘の千夏が成人したら自分が持っている会社の株の半分や財産の一部を桂子と千夏に譲ると申し出た。
「うれしい。本当はこの子と2人で生きていけるかずっと不安だったの。でも……」
「でも、何だい」
「千夏が成人するのなんてずっと先のことでしょ。貴久さんきっと忘れちゃう」
「忘れるもんか。そうだ、ちゃんと公正証書遺言として残しておこう。そうすれば桂子も千夏も安心だろ。よし、明日一緒に公証役場に行こう」
斉藤は家族に気づかれぬよう細心の注意を払いながらも、時間を見つけては桂子のマンションを訪れ、3人の時間を楽しんだ。しかし、千夏が小学生になると、仕事が忙しいことを理由に、だんだんと訪問の間隔が開くようになっていった。
忙しいという斉藤の言葉をそのまま信じていた桂子だったが、ある日、店に来た斉藤の会社の社員が、社長に女の子が生まれたという話をしているのを聞いて、一気に顔色を失った。
「お嬢さんが生まれたなんて、そんなことひと言も言っていなかったじゃない。やっぱり奥さんとの子供のほうがかわいいってこと!?」
斉藤の心が離れつつあるのは疑いようがない。それでも桂子は信じてついていくしかなかった。
そんな斉藤との関係は、あっけなく終わりを告げる。斉藤が交通事故で突然亡くなってしまったのだ。それを知ったとき桂子は、遺言書をつくっておいてよかったと心底安堵した。