これが日本が誇るラーメンだ

素材だけではない。もちろん、肝心の味の方も秀逸だ。

黒トリュフのオイルにトリュフパウダーを重ね合わせる「トリュフ・オン・トリュフ」の技法により、丼がテーブルに置かれた瞬間から艶やかに宙を舞う圧倒的な芳香を実現。丼に箸を付ける前から、「あ、このラーメンはハイレベルに違いない!」という確信を食べ手に抱かせるとともに、食欲を狂おしいほど掻き立てる。

蔦の「醤油Soba」。チャーシューの上にトリュフパウダーが載る

先述のとおり、スープは、味が濃厚でうま味成分が一般の鶏肉よりも格段に豊富な青森シャモロックを主軸に据えながら、アサリ、乾物などの魚介類を寄り添わせることで、奥行きと残響感のあるうま味を演出。「今回の『新味』では、意図的に乾物の存在感を強調してみました」との大西氏の言葉どおり、これまでの「蔦」のラーメンとは比べ物にならないほど大量の出汁が、乾物からにじみ出ている。単なる食べ手の一人である私でさえ、「見よ、これが日本が誇るラーメンだ!」と胸を張ってしまいたくなるほど、力強く頼りがいのある和風味だ。

二年熟成生揚げ醤油を中央に鎮座させ数種類の醤油をブレンドしたタレも、スープの素材を際立たせる役割を全うする。スープの一滴が唇に接触するや否や、味覚はもちろん、魂すら丼の世界に引き込まれてしまいそうになるほど味わい深い1杯は、大西店主のラーメンに対する価値観を余すところなく映し出している。

料理人の存在意義は、ゼロからレシピを生み出すこと

食べている間、この「醤油Soba」に少しでも似た味のラーメンが存在するかどうかを、海馬と大脳皮質をフル回転させて思い起こそうとしたが、過去の「蔦」の「醤油Soba」を含め、結局、該当するものはひとつも思い浮かばなかった。

「現在のラーメンシーンは飽和状態に達していて、面白みがなくなってきているのではないか」と大西店主は警鐘を鳴らす。

「分かりやすい例が、ラーメンのスープに用いる鶏の銘柄です。あるブランド鶏から良い出汁が採れるという情報が出回れば、多くの店が即座にその情報に飛びつき、鶏の争奪戦になる。思考停止ですよね。そんなラーメンが、食べ手の心を動かせるはずがないと思うんです」

確かに、最近のラーメンシーンを分析すると、各店舗で提供されるラーメンの平均水準こそ底上げされているが、初めて訪れる店のラーメンであっても、どこか別の店で食べたことがある味だなといった既視感を覚える場面が増えたような気がする。

少しでもレベルの高いラーメンを作りたいという気持ちは理解できなくもないが、そもそも、料理人の存在意義は、白地のキャンバスに絵を描くこと、全くのゼロからレシピを生み出すことにあるのではないかと大西氏は言う。確かにその通りだと思う。

食べる側にとっても、作り手の考え方が見えないラーメンは、いくら味が良かったとしても面白くないものだ。そんなラーメンばかりになり、世間の関心がラーメンから離れていく事態だけは避けてほしいものである。