話を戻そう。2人目の支援者は、南相馬市立総合病院の小鷹昌明医師(神経内科)だ。傷ついた彼女に「僕と一緒にやろう」と声がけした。小鷹氏のキャリアはユニークだ。震災後、獨協医大神経内科准教授のポストを捨てて、南相馬市に移住した。南相馬の復興を願い、院内にとどまらず、地元社会で活動している。詳しくは拙稿をご覧いただきたい(FACTA「南相馬「名もなき赤髭」物語」)。

20人以上の入院患者と週8コマの外来

結局、彼女は神経内科医を選択し、南相馬市立総合病院に残った。ただ、それもすんなりいったわけではない。今年4月の時点では「福島県立医大とけんかする医師は雇用できない」(桜井・南相馬市長)という理由で、非常勤雇用だった。正式に採用されたのは今年5月からだ。

その彼女が南相馬市の危機を救った。現在、大町病院のたったひとりの常勤内科医として働いている。

彼女は20人以上の入院患者を受け持ち、さらに週8コマの外来を担当している。ベテランの内科医でも、外来は週4コマ、入院患者の受け持ちは10人程度が普通だ。常識では考えられない仕事量だ。

彼女の毎日は多忙を極める。朝8時に出勤し、病棟を回る。日中は外来だ。その合間に急患が入ってくる。高カルシウム血症による意識障害、溶血性貧血発作疑いなど、診断に苦慮するものが多い。

彼女は駆け出しで、経験も少ない。「ワシントンマニュアル」や「ハリソン内科学」などの医学書を引きながら診療している。文献だけでは分からないことがあれば、私や、南相馬市立総合病院の先輩医師に携帯電話で聞いている。

われわれの仕事は、やる気のある若手を支えること

問い合わせに応じて、知人の専門医を紹介したこともある。例えば、大町病院には放射線専門医がいない。外部に読影を依頼しているが、結果がわかるまで数日かかる。

先日、発熱が続く患者に胸部X線を撮影した。明らかな所見はなかったが、少しだけ痰が出ていた。彼女は胸部CT画像を撮影したが、非特異的な所見以上にはわからなかった。私も同様だった。そこで、東大医科研時代の同僚の専門医を紹介し、フェイスブックメッセンジャーで画像を送った。すぐに「気管支肺炎」と返事をくれた。抗生剤を投与すると、状況は改善した。一事が万事、こんな感じだ。

彼女は、毎晩22時ごろまで診療やカルテ整理を続け、終わった後に論文を書いている。現在、3つ目の英文論文を準備中だ。

彼女は大町病院に異動して成長した。若手は自分で判断させて、責任をもたせると伸びる。われわれの仕事は、やる気のある若手を支えることだ。