「晩節を汚す」年長者の醜悪さ

老人になれば知恵が付き、より人格者になるもの──それが“老人は敬うべき存在である”という「敬老」の概念の本質であり、だからこそ「敬老の日」は存在する。中国・三国時代の曹操も「余は老人が好きだ。その年まで生きてきたということは、悪いことをしていないということだからだ」的なことを言っていた。が、先に挙げた市長も議長も、老いてなお欲の皮が突っ張っており、悪事に手を染めている。

たとえば、80歳でエベレスト登頂を果たした冒険家・三浦雄一郎氏のような挑戦や、年を重ねるにつれ熟練の技を極めていく大工や伝統工芸品の匠などは、「生涯現役」でますますの活躍を心から祈念したくなる。しかし、私腹を肥やすために老いてなお権力の座にしがみつく様は、醜悪としか言いようがない。

今回話題にしている事件こそ「晩節を汚す」の言葉がふさわしい例である。若者が年収100~200万円台でヒーコラ働いているなか、一般企業の退職年齢を10年以上超えた年齢で高給を手にしている。しかも権力者であるがために、おいしい汁を吸いたい連中がペコペコしながらすり寄ってくることも多いだろう。今回の山田容疑者と伊藤容疑者は、まさにそういった連中だ。いったい何歳になるまで、あなたはおいしい思いをし続けるつもりか? ──そう強く問いたい。

自分も「ロートルへの階段」を上がっている

この事件を見て、44歳の私自身も「引き際」について、改めてグッと考えるに至った。現在、私が生業にしている「ネットニュースの編集業務」というジャンルは生まれてまだ20年ほどの職域で、一般的になったのはこの10年ほどの話である。ここ数年で若い編集長が続々と生まれ、さらには紙メディアの記者・編集者が続々とネットニュース、ネットメディアに参入し、活況を呈している。

長らく存在してきた既存メディア、たとえば雑誌の編集者であれば「40歳で副編集長になり、48歳で編集長になり、その後は書籍編集部か管理部門へ行き、無事60歳の定年を迎えるか……。はたまた55歳で早期退職し、これまでアウトドア誌の編集で培った専門分野の知見を活かし、アウトドア関連のビジネスを始めるか……」など、先人たちの事例を参考にしたキャリアモデルが存在する。

でも、われわれネットニュース編集稼業の場合、そうしたモデルがほぼない。ネットの編集をやり続けた人間が、その後に何をするのかがよく分からないのである。

さらに本音を述べてしまうなら、私個人の感覚としては、自分より若い世代たちの「面白いことがやりたい!」「会いたい人がいる!」「こんな企画を思いついた!」といったあふれるようなパトスには、正直「かなわないな……」と思うことしきりとなってしまった。結局、自分も「ロートルへの階段」を着々と上がっているのだ。