競売が住宅バブルの元凶
もとをただせば、「土地は国の所有」であることが住宅バブルを招いた。90年代の上海中心部では、土地のほとんどが工場用地と住宅地で、住宅地も工場所有だったことから、商品住宅の開発のために土地を転用することは簡単だった。また、住民の私権も強くないため、“ゴネる住民”に煩わされることもなく、短期のうちに立ち退きを完了させることができた。上海の街が一面“高層住宅の林”と化すにも10年の時間すら必要なかった。
土地は国有だが、実際の売買は地方政府が行う。地方政府はこうした土地を表向き競売というプロセスを経て市場に供給するわけだが、落札者は「最初から決まっている」とも言われた。高値で競り落とすという競売こそが、値上がりの元凶にもなった。場所によっては何十倍もの値上がりを見せた土地もあるのも、そもそもが「土地をオークションに掛ける」というやり方がもたらしたものだった。
他方、“中国不動産バブルの3大悪人”と言えば、地方政府、開発業者、そして銀行だ。政府目標の「土地の利用効率」を高め、開発を進めれば役人は出世できた。開発業者は地方政府が行う競売で土地を落札すれば、巨万の富が転がり込んだ。銀行はこうした開発業者にほぼ無制限に融資を行った。
中国の地方財政は土地売却による収入が、依然高い割合を占めているのもこのためだ。「土地依存症」からの脱却は何度となく叫ばれてきたことだが、いまだにこれは改善されていない。
過渡期的に生じた多少の焦げ付きもお目こぼしとなった。中国には銀行債務も「政府が最後に処理をする」という暗黙律があるためだ。こうしてこの国の発展はゆがんだものになっていった。
上海では築20年のボロマンションが億ションに
中国の住宅バブルは、実は「価格が上昇するとほどなくして沈静化する」というサイクルを繰り返して大きくなった。中国では、過度な価格上昇を抑制するために、政府がマクロ調整を行い、市場をコントロールする。2000年代、不動産の転売を狙う投資家たちはマクロ調整の行方に一喜一憂したものだが、それが「政府の常套手段」だと認識すると、臆することなく住宅を買い進めた。
しかし、上海万博も終わった2010年以降、「相場は上がるだけ上がった」という観測が強まり、「黄金期は終わった」と判断した投資家は、中国の資産を売却し始めた。2012年には中国の不動産市場に「冬の時代」が到来した。
政府高官をはじめとした富裕層が中国で蓄えた富を北米や豪州、欧州などに分散させたのもこの時期だった。2014年を前後して「中国のゴーストマンション」が日本で報道されたのもこの頃である。中国経済そのものも落ち込み、「中国崩壊論」が世界で叫ばれるようになった。