一枚の絵にとんでもなく高い値がつくことがあるのはなぜなのか。エコノミストの水野和夫氏は、「そこに資本主義と人間の欲望の本質がある」という。経済と美術の驚くような関係について、水野氏は画商の山本豊津氏と『コレクションと資本主義』(角川新書)で対談している。本書の第2章から一部を抜粋して紹介しよう――。

※以下の記事は、『コレクションと資本主義』(角川書店)からの抜粋です。

印象派と産業革命の驚くべき共通点とは何か

【水野】『資本主義の終焉と歴史の危機』では、資本が投資先を失うことで金利がゼロになり、それと同時に13世紀以降の資本主義は終焉を迎えるという趣旨を述べました。それは同時に近代以降の経済システムの終焉を意味していますが、「歴史の終焉」すなわち「西欧史の終焉」という思いを強くしたきっかけの一つが、鈴木忠志さんの『世界の果てからこんにちは』という演劇作品です。

『果てこん』の「歴史にもおさらば」という台詞について、世界史=西欧史と考えれば、「歴史にもおさらば」とは「西欧史の終焉」のことなのです。

一見、経済や経済学とは関係のないもののなかに、じつは経済の本質が潜んでいる。それは哲学、文学かもしれないし、美術や芸能かもしれない。

【山本】じつは、アートにも逆の意味で同じことがいえます。美術大学などで学生を前に講義をするとき、「みなさんが画家をめざすならば、アートが価値をもち、そこに価格がつく仕組み、つまり経済の仕組みをもっと知る必要がある」と話しています。

アーティストが純粋に作品に向かうのはもちろん悪いことではありませんが、自らの感覚と価値観だけに凝り固まり、閉じた作品になってはいけない。世の中の感覚や価値観を意識し、自分の作品が時代のなかでどのような意味と価値をもつのかを客観的に把握しなければなりません。そのためにはアート以外にも、幅広い知性、教養をもつことが必要です。

【水野】どの分野であれ横断的な知識、つまり世界をトータルな概念として認識し、把握する力が必要だということですね。

とりわけ「歴史の危機」においてはそうです。「歴史の危機」において最もしてはいけないことは「専門化」です。いまの時代は一つの専門を掘り下げていっても、必ず限界に突き当たる。それが現在のゼロ金利、マイナス金利をきちんと説明できていない、マクロ経済学と経済学者が陥っているジレンマだともいえるでしょう。

【山本】時代というものは、大きなトレンドのなかで動いています。そのなかで一見、政治や経済の動きと芸術や文学の動きは関係がなさそうにも思える。しかし、それをより長期的な視点で眺めてみると、そこには驚くべき関連性が浮かび上がってきます。

たとえば印象派は色を分解して新しい表現を試みましたが、そこには18世紀の産業革命や科学革命などによって生まれた、分析的・客観的に世界を把握する視点が通底しています。ロシア構成主義は抽象絵画の原点とされますが、これはロシア革命(1917年)によってソビエトが誕生したことが影響している。

つまり共産主義のもつ進歩主義的で抽象的な思考が、芸術表現としても現れたと考えられます。当時はそうはっきり認識できずとも、時代が進んで後世になってから俯瞰してみると、その関連性が明確に認識できるのです。