グループ会社と本社の垣根を越える
さて、前述のように「JALなでしこラボ」の研究発表をした面々が異口同音に語ったのは、研究会のメンバーが43のグループ会社間の垣根を越えて集まっていることだ。
2010年1月に経営破綻したJALにとって、本社と当時60を超えていたグループ会社との壁を取り払うことは、経営再建を進めるうえで大きな課題となってきた。稲盛和夫会長(当時)の指揮のもと、JALではグループ会社を43社へ再編、「JALフィロソフィ」や部門別採算制度を導入すると同時に、人事の垣根をなくす「グループマネジメント制度」など、急ピッチで再生への取り組みを続けてきた。2015年から始まった「JALなでしこラボ」もまた、その意識・制度改革の一環として始められたものだ。
とりわけグループマネジメント制度の導入は、JALグループという組織全体のあり方を劇的に変えるものだった。それまでJALグループでは、グループ会社から本社の管理職にはなれなかった。同制度の導入以後、優秀な社員は所属する会社に関係なく要職に就けるようになった。
例えば、現在、山口宇部空港所の所長を務める猿渡美穂さんは、もともと空港サービス業務を担うグループ会社「JALスカイ」に在籍していた人物だ。大分出身の彼女は福岡空港のグループ会社に就職後、JALスカイの前身であるJALフロンティアに転職。グループ会社の一員として羽田空港での業務に携わってきた。
猿渡さんが本社のオペレーションコントロールセンターに出向したのは、10年の経営破綻直後のことだった。
「上司からは『グループマネジメント制度の導入を見据えた出向だ』とはっきり告げられました」
それによって「これまでのキャリア設計を一から見直すことになった」と彼女は振り返る。JALスカイから異動したことで、本社において管理職のキャリアを歩く道が一気に開かれたからだ。
「グループマネジメント制度の導入以前は、自分のキャリアの先が見えていました。その構造が変化したことで、自分の将来にさまざまな可能性が開かれた。それは仕事を続けていくうえでの新たなやりがいになりました」
同社には現在、猿渡さんのようなグループ会社出身の管理職が約120人いる。これは数年前にはいなかった人々であり、JALの改革の象徴的な存在であるといえるだろう。
人事部ワークスタイル変革推進室の久芳珠子さんは言う。
「破綻前のJALに顕著だったのは、『本社は考える人。現場は実行する人』のようなすみ分けでした。そのため本社とグループ会社との距離が開いてしまっていたと思います。現場の社員からすれば、各会社の部長職ぐらいまでがキャリアの限界、というのが現実だったわけです。会社の枠を超えて本社の部長レベル、さらには役員への道が開かれたことは、ミドルクラスの社員にとって大きなモチベーションになり始めています」
以前は「本社」と「多くのグループ会社」に分かれていた組織を、いわば「ひとつのJAL」と捉えて社員を登用するグループマネジメント制度。それが部署ごとの収支状況を明確にする「部門別採算制度」の導入と相まって、現場の社員の意識やキャリア設計に変化が表れ始めたというわけだ。