“時事芸人”のプチ鹿島さんが、新刊『芸人式新聞の読み方』を出しました。朝日、読売、毎日、日経、産経、東京の6紙のほか、スポーツ紙5紙、夕刊紙3紙を購読し、時事ネタの痛快さには定評があります。ときに「マスゴミ」とも揶揄される新聞を、どう使えばいいのか。最終回の第3回は「フェイクニュース」について。オカルトとデマと上手に付き合う方法とは。第1回(http://president.jp/articles/-/21856)、第2回(http://president.jp/articles/-/21922)とあわせてご覧ください。(聞き手・構成=須藤 輝)

「声の大きい人」は多数派ではない

――鹿島さんは時事ネタを扱っていますが、ネットで「炎上」したようなことはありませんか?

確かないはずです(笑)。僕はネット、特にTwitterでは、とぼけたことだけ言っていればいいかなって思うんです。やっぱり強い言葉同士がぶつかり合っちゃうと、収集つかなくなるじゃないですか。以前、憲法学者の木村草太さんが朝日新聞のコラムで、「ある発言に対して『それはヘイトだ!』と感情むき出しで批判すると、それ自体がヘイトになる可能性がある」といった意味のことを書いていて、とても納得しました。要は、強い言葉を使う人に対して同じ強さの言葉で迎撃しても、何もいいことはないんですよね。

たとえば今年2月末、安倍首相が東京・赤坂の中華料理店「赤坂飯店」で内閣記者クラブのキャップたちと会食したことが話題になりました。これに対して「首相が森友学園報道に圧力をかけた!」と怒る人たちがいたのですが、本当に圧力があったのかどうかはわからない。そこで先走って「恫喝だ!」「圧力だ!」って騒ぎたてると、せっかく森友学園の問題に興味を持ちつつあった人たちが引いちゃうと思うんですよ。

――安倍政権を支持する人たちと支持しない人たちの争いになって、そのどちらでもない人たちが置き去りになってしまう、と。

そうです。ラジオで韓国情勢に詳しいジャーナリストに話を聞いたとき、その方は「強い言葉が飛び交っているときこそ、気弱で小さな声に耳を傾けるべきじゃないか」とおっしゃっていたんですね。声の大きい人はどうしても目立ちますが、それは多数派ではないんですよね。

それを最初に感じたのが、石原慎太郎さんの4選目がかかった2011年の都知事選です。あのとき、「石原さんは相当苦戦するんじゃないか」と思っていたんです。自分のTwitterのタイムラインを見ている限り、そういう意見の人が多かった。ところが、蓋を開けてみれば石原さんの圧勝でした。目に見えるネット上の意見を「世論」だと思うのは危険です。実は声を上げない人のほうが圧倒的に多いんですよね。

――ただ、そこに納得できない人もいるようです。特に第二次安倍内閣発足以降は、国政選挙がある度に一部のリベラルの人が荒れているのをTwitterでよく目にします。

もう、自公の連戦連勝ですから、安倍政権を支持しない人たちからすれば、選挙結果は不満です。なかには「不正選挙だ!」という陰謀論を持ち出してしまう人もいた。僕は陰謀論も大好きなんですけど、やっぱり陰謀論というのはニヤニヤしながら楽しむものだと思っているんですよね。この本にも書きましたけど、同じ「疑う」でも、「怒りながら疑う」のと、「楽しみながら疑う」のでは、疑いの質がぜんぜん違うわけですよ。僕はプロレスや「水曜スペシャル」の「川口浩探検隊シリーズ」を通じて、楽しみながら疑うことに親しんでいたので、もっと半信半疑を楽しめばよいのではないか? と思うんですよね。

たとえば今回の森友学園の問題は、国有地売却と思想教育という2つの問題がありますよね。そこで安倍政権を支持しない人たちは、思想のほうにこだわるから、より重大な土地の問題が埋もれてしまう可能性もある。

――理詰めで攻めたほうが効くはずなのに、どうしても感情論になってしまう。

もちろん怒ることも必要なんですよ。でも、感情をむき出しにしたり、先走りすぎたりすると、むしろ問題を矮小化してしまう。僕が赤坂飯店の件で興味深く読んだのは、ロケットニュースの「安倍首相がマスコミ幹部と会食を行った『赤坂飯店』に行ってみた/高級中華が1000円で食べられるランチが高コスパ」という記事(http://rocketnews24.com/2017/02/28/868315/)なんですよ。安倍政権を批判したいのであれば、感情的に糾弾するより、こうした記事のほうが有効なパンチになると思うんですよね。

――どちらの立場の人にとっても興味深い切り口ですよね。

「安倍首相はマスコミと飯を食っている」っていう事実は確実に頭に入りますからね。しかも、それを笑いに昇華させている。僕はそっちのほうが好きだし、僕のやっていることもそれに近いと思います。