その自慢話のなかに「血と汗」はあるか
挫折、失敗を経験した人が「職を得るため」という特殊な目的のために書いたメッセージが、意外にも古典になるという例はほかにもあります。古代中国の『韓非子』は、性悪説にたって儒教を批判し、人間の欲望と恐怖に基づいて絶対的権力の必要性を唱えました。現代の中国にも影響を及ぼしている古典ですが、著者の韓非は、小国の諸公子という立場に満足せず、隣国である秦の王(後の始皇帝)に取り立ててもらうために『韓非子』を書いたのです。
書店には、成功した人物が書いた自慢話風の「天国のような話」が並んでいます。しかし、本当に天国に行く方法を知りたいのであれば、地獄を見た人の「血と汗」で書かれた本を読むべきです。
読書とは、著者の考え方を無批判に受け取るものではありません。著者の語っていることを「本当にそうなのか」と疑い、自分の考えをつくる知的プロセスです。だから私は著書に『読書は格闘技』という書名をつけたのです。
古典として残っている本の多くは、格闘する価値のある「良書」です。ただ、読みこなすためには歴史を知る必要があります。『君主論』を読むにはローマ史の知識が不可欠ですが、ほとんどの読者にその時間はないでしょう。その場合、上質な解説書に目を通しておくと、古典を読むうえで大きな助けになります。『君主論』では、小学校の権力争いに置き換えた『よいこの君主論』(ちくま文庫)という便利な本があります。また塩野七生の『わが友マキアヴェッリ』(新潮文庫)も面白い。ほかの古典を読む際には、中央公論新社の「世界の名著」や講談社学術文庫に再録されている「人類の知的遺産」のシリーズに目を通すと理解が深まります。